「教会と世とのかかわり」

先日の中会会議で「原子力発電に対する私たちの悔い改めと見解」という文書を決議しました。これをめぐっては色々議論がされ、特定の原子力発電に関してそのような議論があるのは当然だと思います。反論も当然あってしかるべきと思います。しかし、その前段階のところで私が驚いた発言がありました。つまり、教会はこの世と一線を画すべきで、この世のことに口をはさむことはしないはずだ、というものです。
皆さんの中に、ひょっとしたらこのような考え方をしている方がおられるかも知れません。しかしこれは、主イエスがされたことと大きく異なる考え方です。確認の意味で、改めて書いておきたいと思います。主イエスは世の権力に真っ向から立ち向かっていることは、聖書を読めばすぐ分かります。さらに、宗教改革によって私たちの教会の基礎が出来ましたが、そこでの考え方も教会と国家は分離しているからこそ教会は国家に対して助言し、警告できる、としています。分離は非常に大事です。しかし、それが目的だと受け止め、教会はこの世と一線を画すべきで、この世のことに口をはさむことはしないはずだとなると、宗教改革、特に長老主義教会のありかたから大きく外れることになります。分離の意味は、もし、国家が誤れば警告できる、というところに真意があるのです。
長老主義教会の思想を導いたのはフランスのカルヴァンという人ですが、このカルヴァン研究の日本における第一人者、渡辺信夫氏(日本キリスト教会牧師)は言います。
「彼(カルヴァン)は政治と宗教を分離させるために苦労した。だが、分離とは没交渉になることではない。・・政治の当局者が誤りを犯すことがないように、つねに助言し、警告する必要がある。政治的無関心は信仰者として恥ずべき一種の怠惰なのである。カルヴァンの感化のもとでは、政治と宗教の分離の原則は貫かれたが、しかも、信仰者がこの世の政治に積極的に責任をもつ発言をすることが通例である。」(人と思想シリーズ『カルヴァン』渡辺信夫著、清水書院1975、175ページ)
私たちは、この人の書物から改革派長老主義教会とはどういうものか、多くを学ばせていただいたと思っています。「改革教会世界共同体(WCRC)」という、カンバーランド長老教会を含む教会の世界組織がありますが、そこでは植民地問題、ナチズム、ジェンダー、経済格差、気候変動、正義の問題などを信仰、神学的問題としてとらえてきました。
カンバーランド長老教会も「信仰告白」にも、以下のような告白があります。
・選挙権行使の義務
・資格がある時には公務に就き正義と平和と公共の福祉のために働くのはキリスト者の務めである
・教会としても個人としても暴力の犠牲にさらされているすべての人を擁護する
・教会は和解と愛と正義が拡大されることを求める
教会と国家が分離されている意味は、もし、国家が誤れば警告できる、というところに真意があるのです。「原子力発電に対する私たちの悔い改めと見解」も、その上に立っているのです。

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Commented by ミリアム at 2013-11-26 11:53 x
この記事を深い共感をもって読みました。
主イエスは「この世」で生きられ、十字架にかかられました。

私は今週の主の日、教会にあった冊子を持ち帰りました。
「原子力発電は”温暖化”防止の切り札ではない!」
(日本カトリック正義と平和協議会発行)
裏表紙には私たちがすぐできる事が書かれています。
「恵みの雨と人の働き」が断たれることのないように
できることをしてゆきたいと思いました。
Commented by rev_ushioda at 2013-11-27 17:46
この記事に「深い共感」を感じて戴ける幸い! ありがとうございます。そして大事なことです。原発事故で情報公開してほしいと言っている横で、秘密法案が可決です。暗澹たる思いで今日を過ごしました。上杉鷹山が見た火鉢の底の種火に、私たちは、なりたい。
by rev_ushioda | 2013-11-24 22:45 | Comments(2)