「期待された人生を生きる」
2013年 10月 04日
残りの人生が、私に何かを期待している。それによって、死に向かう苦しみの中でさえ、なお生きる意味を見出すことができる。残りの人生が、私に何かを期待している。それによって、苦しみと前向きに向き合って、苦しみを背負って生きることもできるようになる。そう言ったのです。
ところで、小椋佳作詞、作曲の愛燦燦には、こういう言葉があります。
「雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて/わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして/人は哀しい 哀しいものですね/それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩う/人生って 不思議なものですね」
「風 散散(さんざん)と この身に荒れて/思いどおりにならない夢を 失したりして/人はかよわい かよわいものですね/それでも未来達は 人待ち顔して微笑む/人生って 嬉しいものですね」
「愛 燦燦(さんさん)と この身に降って/心秘そかな嬉し涙を 流したりして/人はかわいい かわいいものですね/ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う/人生って 不思議なものですね/ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む/人生って 嬉しいものですね」
過去は変えられない。しかし、その「過去たち」が「優しく睫毛に憩う」のです。その意味が変わった、と。現在も「風 散散と この身に荒れて/思いどおりにならない」のです。「それでも未来達は 人待ち顔して微笑む」のです。ここには、未来から自分を見つめる視点がある。残りの人生が、未来達が、私に期待している、と。
ここで、言い替えましょう。雨に潸潸と打ちたたかれた私であろうと、風 散散と荒れている私であろうと、神こそが、私に期待しているのです。「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29章11節)であるならば、神に向けて、仲間(教会)と共に、応答的一歩を踏み出しましょう。今日は、残りの人生の初めの日。