「期待された人生を生きる」

アウシュビッツといえば、誰も一度は聞いたことがあるでしょう。第二次世界大戦の時、ヒトラー率いるナチスドイツが、罪もないユダヤ人を強制収容し、600万人もの人々を虐殺した場所が、アウシュビッツです。ここで生き残った人はきわめて少数ですが、その一人に、ビクトール・フランクルという人がいます。フランクルの家族は収容所で餓死、または毒ガスで殺されますが、フランクル自身は、強制労働と極度の栄養失調によく耐えてこの収容所から奇跡的に生還したのです。この人は精神医学者でした。それで後に自分の体験を書いた本を出版しました。「強制収容所における一心理学者の体験」という本で、日本では「夜と霧」という題で知られています。そこでこう言っているのです。「助かる見込みがない状況の中では、残りの人生に何か期待できるものを探してみても、絶望しか発見できないだろう。考え方を変えてみよう。私が、残りの人生に何かを期待するのではなくて、残りの人生が、私に何かを期待しているのだ。」

残りの人生が、私に何かを期待している。それによって、死に向かう苦しみの中でさえ、なお生きる意味を見出すことができる。残りの人生が、私に何かを期待している。それによって、苦しみと前向きに向き合って、苦しみを背負って生きることもできるようになる。そう言ったのです。

ところで、小椋佳作詞、作曲の愛燦燦には、こういう言葉があります。
「雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて/わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして/人は哀しい 哀しいものですね/それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩う/人生って 不思議なものですね」
「風 散散(さんざん)と この身に荒れて/思いどおりにならない夢を 失したりして/人はかよわい かよわいものですね/それでも未来達は 人待ち顔して微笑む/人生って 嬉しいものですね」
「愛 燦燦(さんさん)と この身に降って/心秘そかな嬉し涙を 流したりして/人はかわいい かわいいものですね/ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う/人生って 不思議なものですね/ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む/人生って 嬉しいものですね」

過去は変えられない。しかし、その「過去たち」が「優しく睫毛に憩う」のです。その意味が変わった、と。現在も「風 散散と この身に荒れて/思いどおりにならない」のです。「それでも未来達は 人待ち顔して微笑む」のです。ここには、未来から自分を見つめる視点がある。残りの人生が、未来達が、私に期待している、と。

ここで、言い替えましょう。雨に潸潸と打ちたたかれた私であろうと、風 散散と荒れている私であろうと、神こそが、私に期待しているのです。「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ29章11節)であるならば、神に向けて、仲間(教会)と共に、応答的一歩を踏み出しましょう。今日は、残りの人生の初めの日。

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by rev_ushioda | 2013-10-04 00:07 | Comments(0)