『その日のために」

今回、機会があって再び、被災地を訪問しました。塩釜、東松島、石巻と巡り、最後が、津波で74人の児童、10人の教職員の犠牲者を出した大川小学校でした。北上川河口から約4キロの川沿いに位置するその場所に立ってみて、学校自体がかなり低い場所だという印象でした。どうして、大人たちがいつまでも校庭で避難先の議論をしていたのか、また、山に逃げず、川方向に避難したのかという、単純な疑問が湧きました。小さな子どもや、小学校に避難してきていたお年寄りもいましたから、確かにその斜面は登るには急でした。それにしても、です。そこに立ち、ここで多くの児童の命が失われたという思いと重なって、何とも切ない思いが溢れてきました。
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そこに立ってみて、日頃の危機管理の問題だと、すぐにわかりました。ここまでは津波は来ないとか、避難場所にもなっているから安全だと言われていても、何が起こるか分からないのです。どうしたらいいのか、日頃から訓練しておく(体に覚え込ませておく)ことがいかに大事かと思います。

私たちが1週ごと共に集まる礼拝にはいろいろな意味を見ることができますが、ここで一つ言えることは、人生の危機においてきちんと対応できる、ということだと思います。準備というのは、その時に始めたのでは、遅いのです。体が覚えていることが大事なのです。一回一回の礼拝を大事にするということ、そこで聞いていることは、「その日」にも神を礼拝する者として失われない、自暴自棄にならない、それだけでなく、そこでも使命を果たし、希望を失わずに共に歩み続けるために、どんなに大事なことでしょうか。

妻の母は、認知が進んでも、しばらく教会に通っていました。希望ヶ丘の駅まで電車で来てもらって、そこから車で一緒に教会に行きました。その朝、どういうわけだったか、多分、来る予定がなかったからだったと思いますが、迎えに出ませんでした。泉教会で研修されていた唐澤先生が教会に向かって車を走らせていたら、たまたま、希望ヶ丘の駅から少しのところを教会に向かって歩いている義母を見つけ、連れてきてくれたことがあります。健康な体であっても、そこからは歩いて1時間半以上はかかります。その道を、いつもの礼拝への道を、義母は認知が進んでも歩いていたのです。体の中にその道は組み込まれていたのです。私たちに、やがてどういう危機がやって来るか分かりません。その日、希望への道を歩くために、一回一回の礼拝の道を大事にしていきたいと思うのです。

ゆきなれた路の/なつかしくて耐えられぬように/わたしの祈りのみちをつくりたい
八木重吉

YouTubeの映像を転載します

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by rev_ushioda | 2013-09-19 18:03 | Comments(0)