「献金の行方」

私たちがささげる献金は、いったい、どこに行くのでしょうか。神さまのため捧げます、と言うのだから神さまが受け取るのでしょう、確かにそうなのですが、神さまはその献金を、教会に、預けておられるのです。それは、神さまが私たち一人一人に命や才能、お金を預けて、一人一人の生活の中で生かして用いるようにされているのと、同じなのです。預けられたものを神さまが喜んでくださるように使う。これを「クリスチャン・スチユワードシップ」と言います。教会は、教会としてのスチユワードシップに責任をもって取り組んでいるのです。

第一に、何と言っても教会の働きは、伝道です。礼拝、個々人への関わり、通信、その他、教会の働きを大きく括れば、それを伝道活動と言うことができます。そのために配分します。
第二に、不動産に関するスチユワードシップも必要です。礼拝を行い、伝道に用いる器である土地・建物の購入、返済、また水道光熱費、保険料など、維持・管理に責任を持ちます。
第三に、教職者謝儀。牧師に支払われるものですが、よく見れば「給料」ではありません。牧師の働きに対して、教会が感謝を表すものです。教会の働きに献身している牧師は、それによって生活を支えているので数字は大きくなりますが、教会は、牧師に関するスチユワードシップの責任を果たします。牧師の働きと言っても一口で説明できるものではないですが、たとえば中会(上位会議/包括法人)の働き、議長に選ばれもすれば、他の伝道所の運営にも関わることで、相当の時間を使うことも、牧師の働きです。そうであれば、それも教会が支えているのです。

こういうことのために、献金は使われるのです。あるものは結果が見え、あるものは、結果は見えません。「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」(コヘレト11:1)当面は、結果が見えないことのほうが多いのです。しかし、必ず「月日がたってから、それを見いだす」のです。
いずれにしても、自分のお金が、自分の手の中で自分のことのためだけに終わらず、神のわざのために用いられるようにするわざが、献金です。個々のスチユワードシップが、教会のスチユワードシップになっていく最初の泉は、あなたの手の中にあります。

「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」(コリント 二 9:8)

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by rev_ushioda | 2013-08-23 17:06 | Comments(0)