中山道7~9日目 柏原宿~今須宿~関ヶ原宿~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿 27キロ

滋賀県柏原宿をスタート、3日間で、岐阜県美江寺までの27キロ踏破。今回は夏休み中の小学校1年生の孫が一緒であった。と言っても、キックボード持参。暑さの中で、これがなかったら、早々のリタイアとなったに違いない。

前回は近江の国(滋賀県)のはずれまで来ていたから、初日に早々と国境を越え、近江路から美濃路(岐阜県)に入った。
今須宿を通過、その先の今須峠あたりで、それまで元気だった孫の体調が悪くなり(軽い熱中症か)、そこから1.5キロをおんぶすることになった。旧街道でもバスが走っているところはあるが、国境、峠などを通過する山間では、交通手段は何もない。しかしその先で休憩をとった後は再び歩けるようになって、気づけば「不破の関」を越えて、そこは関ヶ原であった。

歴史のお勉強:
不破の関は、673年、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに、都を防御するために設けられた。これを三関と言って、三関から東は「東国」または「関東」と呼ばれたそうである。その前年、672年に古代最大の戦争「壬申の乱」が起こっている。この辺りも戦闘に巻き込まれたことが書かれてあった。
そして関が原は、1600年、美濃国不破郡関ヶ原を主戦場として「天下分け目」の戦いが繰り広げられたところ。いたるところに戦陣旗がたなびいていた。私たちは、徳川方、石田方そのどちらにも組することなく、事なきを得たのであった。

2日目、関ヶ原の徳川家康の最初陣地を通過し、垂井宿へ。そこで無料休憩j所が設けられており、ボランティアが煎れる100円のコーヒーをいただき、元気を回復。そのボランティアの人に折り紙を教えてもらった孫は、ご機嫌。実は、この日はそこで中止しようと思っていたが、孫も意外と元気を取り戻したことだし、また、前日の山間の道と違って道にコンビニも多く見られたので、予定通り、次の赤坂を目指すことにした。結局、この日は休憩も含めてであるが、6時間の道行きとなった。

歴史のお勉強:
「お嫁入り普請」 江戸時代末期の1861年、皇女和宮が降嫁した際、大行列一行が宿泊。赤坂宿ではそのために街道沿いにあった古家の建替えや空き地に新築を行い、54軒もの家が建て直されたそうな。その建物が現存している。街道からの見栄えをよくするために表側だけが二階建てという珍しい家もある。

3日目。岐阜県下36度の猛暑日、結局、二日目以降はずっと日傘をさしかけ、孫のキックボードを私が引っ張ることになったが、それでもこの暑さの中、これだけ長距離をよく頑張ったと思う。美江寺宿は、目的地、樽見鉄道 美江寺駅の電車の時間が迫ったため(乗り遅れると1時間半、電車が来ない!)、宿内は急ぎ足で通過。しかし、実はその時間は反対方向であって、実際は30分、駅で待つことになったが。来たのはディーゼル車、すなわち「機関車」であった。やはり無人駅で、のどかな風景が広がっていた。

孫いわく、「ホテルを出て、駅に行っただけだった。」
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出発地「柏原宿」 動画はここ

2日目の終点「赤坂宿」 動画はここ

3日目の終着点「美江寺宿(駅)」 動画はここ


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Commented by ミリアム at 2013-08-10 23:59 x
Sちゃんの一言に私は爆笑、椅子から転げ落ちました。
Sちゃんもあと10年したら?今回の道行きの意味が
きっと理解できるでしょう。
すごいことをしました、えらかった!!
by rev_ushioda | 2013-08-08 20:39 | Comments(1)