「誰にもあてはまる言葉を」

私たちは会話の中で、また礼拝において、「教会員」「兄弟姉妹」という言葉を使います。しかしその場に、もしかしてそうではない人がいると、その人は疎外感を感じることが少なくありません。確かに「教会員」「兄弟姉妹」で間違いないのですが、特にこだわらない場合は、初めての人にも、信じていない人にも、全員にあてはまる言葉を使うことが大事なのだと思います。礼拝に集まる人のことは、ただ「私たち」と言えば良いのです。「礼拝する者」「友」でもよいのです。「今日も、この礼拝に友を集めてくださって感謝します。」のように、です。そのように言うことで、どういう立場の人も区別せず、その日、礼拝に来ることができた、すべての人を歓迎することができます。
英語で手紙を書く時、日本語の「様」に当たる言葉として、名前の前に男性にはミスターMr.をつけます。ところが女性の場合は、未婚者はミスMiss 既婚者はミセスMrs. というように区別します。なぜそういう区別する言葉があるのかは別として、未婚、既婚を区別しない言い方もあって、ミズMs.を使います。このように未婚か既婚かに踏み込まない、包括的な言い方があるのです。
私たちは、右か左かに分けた表現に慣れていて、つい自分の立場で表現した結果、知らず知らず(そうする必要がないところで)人を区別、または差別してしまっているのかもしれません。言葉は、実は、人に対する姿勢に関係しています。悪意がなくても、無意識のところから出て来る言葉が、人を区別していて、人に疎外感を感じさせることもあるのです。聖書の、次の言葉のように生きようとするなら、自分だけに通用する言葉、仲間意識を強調する言葉から離れる努力をしなければならないでしょう。すべての人を包括する言葉に、私たちは慣れる必要があります。

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」ガラテヤ3:28

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by rev_ushioda | 2013-07-25 23:41 | Comments(0)