「息をする」

ある時、チェロを弾く方のお話を聞かせてもらったことがあります。チェロというのは、バイオリンを大きくしたような楽器です。この人はアマチュアですが、チェロを愛して、演奏会にも度々出ます。演奏していただき、その後、いろいろお話を聞かせてもらったのですが、特に心に残るお話がありました。それは、良く整備されたチェロをピアノの下に置くと、ピアノを弾いた時にチェロが鳴り出す、というのです。私は、「ああ、それは空気の振動が伝わるために起こる現象(共振)だ」と思って聞いていたら、その人は「チェロは息をしている」と、言うのです。その時、私は、そうか、この人は空気の振動くらい、わかった上で話をしている、と思いました。ピアノによって鳴り出すとき、チェロは息をしている。生きていると、この人は本気で言っていたのです。チェロを愛するとは、そういうことなんだなあと、思ったのです。

さて、神によって、あるいは聖書によって生きるというのは、非常に宗教的なこと、特別な人のすることだと多くの人が思っているのですが、神を信じるというのは、別に宗教的なことなんかではありません。神を信じて生きるというのは、私たちが息をするようなことなのです。
ピアノの下に置いたチェロが、ピアノを弾いた時に鳴るように、私たちも上から響く神の呼び掛け、と言ったら良いのですが、聖書の言葉を読んで、ああ、そうだなあ、そうだったのか、と思う。今まで間題の中をぐるぐる回っていたのに、ふと、生きることができると思う。それは、息をすることなのです。息をするというのは、人間の心にとって大事なことなのです。聖書が語りかけて来る言葉、その言葉に向かって、その言葉に引っ張リ出されるようにして、ピアノの下のチェロが鳴るように、私たちも「息をし始める」ということが起こる。その時、あなたはもっと自由になります。

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by rev_ushioda | 2013-06-08 17:02 | Comments(0)