「信仰のこととして」

憲法の話とか、最近では原発の話のよう話題は、なぜか教会では関心が薄いような気がしますが、気のせいでしょうか。そのような話は、この世のこと、ひいては政治の話というような誤解があるのかもしれません。または、聖書には、直接、そういうことは書いてないからというのも、理由かもしれません。
しかし考えてみると、平和をつくること、平和に生きることは、聖書そのものが持つメッセージであったし、現実には信仰は政治とのぶつかり合いの中で力を発揮してきたし、現代でも一人一人は真空に生きているわけでなく個々の生活の現場で生きているはずです。イエス・キリストの十字架の犠牲を知っているキリスト者は、イエス・キリストこそ平和であることを信じていますし、ですから平和という意味を、世の中が言う以上に深いところで味わい知っているはずです。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、」(エフェソ2:14)。
それなのに、「憲法9条」とか「原発」という言葉を聞いた途端、何となく遠い世界の話のように感じてしまうとしたら、それはどうしてでしょうか。難しそうだから? 政治の話だから? 話題としてはそうかもしれません。しかし、こうして飛び込んでくるテーマは、私たちの信仰とこの世の現実と結びつかせるテーマ、課題であるに違いありません。憲法9条は平和の砦でありますし、原発問題からは、あの事故以来、避難を強いられている多くの人の苦しみや涙と共に、営利目的になお原発を稼働させようとする人間の自己中心、コントロールの効かないものに手を伸ばす人間の罪が見えてきています。このような現代的なテーマを、私たちは信仰の問題として、信仰の言葉をもって前向きに取り上げてみたいと思うのです。
私は「なかわだ9条の会」の発起人の一人であり、世話人にもなっています。それは、憲法9条の「戦争の放棄」や、憲法で謳われている基本的人権は、聖書の言葉がそのように現代に翻訳されていると考えるからです。何よりも、平和や基本的人権のことは、主イエスが命をかけて回復したこととしてとらえているからです。

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Commented by 国立の巨人 at 2013-06-07 16:29 x
アーメン! 7月の選挙以降どうなるか。なぜ嵐が来るという予報があるのにこれほど静かなのか。ノアの時代でしょうか? 今こそ悔い改めの実を結ぶ時ですね。
by rev_ushioda | 2013-06-06 21:37 | Comments(1)