「キリスト者としての生命線」

 「教会に行かないクリスチャンは信用しない。」
 
某キリスト教団体につとめておられる一人のキリスト者の言葉でした。この方は、キリスト教保育の現場で、「なぜ、さんびかを歌うの?」という基本的なことに疑問を持つ先生方と向き合うことから始めました。「日曜日は園の行事を入れないで礼拝を大事にしよう」と言うと、キリスト者からさえも「熱心だなあ」という情けない(体たらくな)言葉を聞きながら、今は、その園の主任として、団体の生命線を維持しておられます。その団体の上司から、こう言われたと言います。「とにかくキリスト教保育を進めてください。最初に変えなければ、何も変わらない。」 それで自分の立ち位置を確信したそうです。
私は、以前、あるキリスト教学校のPTA会長をつとめ、キリスト者である校長のもと、後援会にも喜んで役員として残ったのです。ところが、あるとき校長が替わり、新しく校長に赴任した人は、信仰のない人でした。入学式では、聖書の言葉を適当に引用して、持論を語る態度に我慢しきれず、ついに役員辞任を申し出たのです。
「教会の礼拝に出席していない校長先生が、聖書の言葉を引用して生徒たちに語る言葉というものはいったい、どういう言葉なのでしょうか・・。そこで行なわれるキリスト教教育とは、どういう教育なのでしょうか。聖書の言葉は、そんなに軽かったのでしょうか。聖書の言葉を命がけで語って来たものとして、キリスト教教育を掲げる学校において、キリスト者でないばかりか、教会にも通っていない校長先生が軽々と聖書の言葉を引用することに、いえ、理事会がそのような人を校長に選任したことに、大変な危機感を覚えました。
入学式に出席させていただいて、私は学校の創設者が最も大事にして来たことが、いとも簡単に上辺だけのものになっていることを感じ、憂慮の念を禁じえませんでした。
今、私が置かれている立場は、目立たず、学校に対して何の影響力も持たない立場です。しかし、私の唯一の意思表示の仕方は、いただいている役目を辞することしかありません。創設者が培って来られた大切なものが崩れていくことに憂慮を覚え、隅のほうで、一つの役目に対して辞意をあらわした人間があったことが意味を持つ学校であるなら、幸いと思います。2007年イースターに。後援会相談役  潮田健治」

改めて、私たちはキリスト者としての生命線を守りたいと思う。

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Commented by ミリアム at 2013-04-27 23:11 x
この生命線をみずから断ち切ることのないように
必死で礼拝を守ろう。
御言葉に依り、頼み、しがみつき、神さまと人に誠実に生きよう。
Commented by rev_ushioda at 2013-05-02 20:12
アーメン。
by rev_ushioda | 2013-04-23 22:38 | Comments(2)