「義母の死」
2013年 02月 18日
義母は、早くに連れ合いを亡くしたから、91年の生涯の後半、今日までの50年近くは、一人で過ごしてきた。当然、子どもたちの養育のためには、ずいぶん苦労したことは、言うまでもない。しかし勤めを転々としたわけではなく、連れ合いが健在だった時から続けていた仕事を最後までやりぬいた。ずっと変わらず、一つの職場であった。そこでよい仲間をいただきながら、海外旅行にも行くことができ、絵の趣味はなかなかのスキルの持ち主であった。「サロン・デ・ボザール展」という、上野で開催する展覧会に出品するごとに、何度も賞をもらうという、腕の持ち主であった。ちなみにこのボザール展は、文化庁、東京都、NHKなどが後援するもので、そこでの受賞だから、それなりの名誉が伴うものである。
たまたま認知症をわずらうことになり、最後の10年は特養ホームでの生活になったが、実はそれまでの5~6年、時間があれば、泉教会に通っていた。義母は、キリスト教の信仰があったわけではないが、教会に来ることを楽しみにしていた。そうこうするうちに認知症になったので、そういう意味では泉教会の場所とか、日曜日ごとの礼拝と交わりは、義母の「社会生活」最期の日々となった、と言ってよいと思う。
その場所で、21日、葬礼拝が営まれていることに意味を感じないわけにはいかない。義母が最期の日々、聞いた聖書の言葉を、私たちもそれを聞いて、お別れの時、また、この日まで守り導いてくださった主を賛美するときにしたいと思う。
「ホームに行くのがつらい」と。
先生のお顔をまじまじと見てお母様が
「私にもあなたによく似た娘がいたのよ」と言われるから。
私はこの話を思い出すたびに、涙が止まらなくなります。
義母がどうして特養に入る前の最期の日々、教会に足を向けたのかわかりませんが、「認知」があるうちに、自分の羊飼いである方に向かって、信仰がなくても、魂がわずかに動いたのだと思います。そのあと認知症になるのですが、その直前、人生の日々を導いてくださった羊飼いである方を確かに「認知」した、ということだったと思っています。
お祈りをありがとうございます。今日、無事に葬礼拝(葬儀)を済ませました。