「浮き出てくる罪」

今はもう二人の子どもがいる娘がまだ小さかったある日、クレヨンでお隣のブロック塀にいたずら書きをしてしまったことがあります。タワシか何かで消させました。それで、その時は消えたと思ったのですが、しばらくして、雨が降った時にふと見ると、何と、クレヨンの跡がくっきりと浮き出ているではありませんか。晴れた日、ブロック塀が白いときは気付かなかったのですが、雨が降ると塀は黒っぽくなって、白いクレヨンの跡が浮き出てきたのです。
私たちの心は、普段あまり気にしていないことでも、一旦何か事が起こると、急にそのことを思い出して悲しくなったり、辛くなったり、人を憎んだり、ということがあるものです。・・どうしてそんなことが起こるのでしょうか。あなたが真面目であればあるほど「これは自分の心が未熟なのだ」と言って、修業とか善い行いとかでその心の汚さを吹き消そうとするかも知れません。しかし、気付けばそれらのものは、あの消したはずのブロック塀の落書きのように、泉のように心の中から湧き出て来るのです。
キリスト教は、人間の弱さとか、醜さを、なかったもののようにごまかして見ることをしません。私たちは、知らず知らず心の塀に落書きをして人間性を傷つけているような者です。そのような思いは、いつも内側から浮かんできて、私たちを支配します。
この現実に立って、しかし、なお絶望しない道を切り開くのが、キリスト教です。イエス・キリストという方は私たちの真中を歩まれただけではなく、消しても消しても浮かび出てきてしまう私たちの醜さを背負い、そのまま十字架にまで進んでいかれたのです。十字架はアクセサリーなどでは決してありません。本性においてどうしょうもなく醜い、私たちを背負う、キリストの姿を指し示しているのです。あなたがもし自分の弱さや醜さに少しでも気付いた方であるなら、その弱さや醜さのところで、キリストはあなたを平安へと招いているのです。

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by rev_ushioda | 2013-02-11 21:43 | Comments(0)