「ピーピー泣かないでください」

ある教会で、子どもたちにゲームをさせました。よく知られた「伝言ゲーム」と言います。列を作り、端に立った子どもに短いメッセージを伝える。それを周りに聞こえないよう耳元でささやきながら、次の人、次の人と伝えて行って、最後の人にどれほど正確に伝わるか。そういうゲームです。
その時のメッセージは、「ピリポはナタナエルに出会って言った。」ヨハネによる福音書1章45節(口語訳)でした。さて、最後はどうなったかというと、「ピーピー泣かないでください。」
子どもたちはピリポとナタナエルという名前には縁がないので、子どもの生活感覚で受け止めると、ピリポは「ピーピー」、ナタナエルは「泣かないで」に変わってしまうのです。(加藤常昭『ペテロの第一の手紙』より)
このことを、私たちは笑ってばかりいられないと思うのです。私たちが日常的にしていることを見事に風刺していると思うからです。私たちは人の言葉を自分の経験とか感覚で受け止めて勝手な解釈をし、勝手な理解をしているのではないでしょうか。そればかりか、聖書の言葉さえ、そのようにして知らず知らず曲げていくのです。先ほどの例では、聖書の言葉を知っていれば、間違わないで伝えることができたはずです。
日常生活で、礼拝の持つ重みを分かっていただければ幸いです。私たちは、何を聞いても、おそらく自分の言葉に都合よく変換して聞いているに違いありません。それほど勝手な解釈があふれて、耳慣れしていると言えるのです。礼拝で聞く言葉は、私たちが、ついついしてしまう勝手な解釈から、私たちを守るに違いありません。聖書の言葉をもって、祈りましょう。礼拝で聞いたみことばの説教の言葉をもって、語り合いましょう。その時、私たちは、ピーピー泣くことから(この世的な言葉に支配されることから)離陸し始めるに違いありません。

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by rev_ushioda | 2013-02-10 21:33 | Comments(0)