「中山道2日目 守山宿~武佐宿 まさに歴史街道」

きのう、守山宿の先、近江鉄道の野洲駅まで歩いた。きょうは、その野洲駅から街道の続きに進む。はたしてこの区間は、時間が古墳時代までさかのぼる、まさに「歴史街道」であった。

歩き始めてしばらくすると、その古墳群が見えてきた。「桜生(さくらばさま)史跡公園」というのだそうだ。せっかくだから見学、トイレ休憩。一つの古墳の中をのぞいたが、説明によると、この辺りはいくつもの古墳があるそうである。ここは、豪族が住んでいた一帯だったようである。

さらにその先に、「平家終焉の地」の看板。平清盛の子、宗盛とその子が源義経に殺され、こうして平家が滅亡した場所だそうである。街道から100メートルくらい入ったやぶの中である。隣は工場の塀が巡らしてある。栄華をきわめた平家の末路がこんなところかと、「おごる平家、久しからず」を噛みしめた。
この辺りは「鏡宿」というのだそうだ。鎌倉時代に使われた宿駅で、江戸時代は宿場にはならなかったとはいえ、間の宿のような機能を果たしていたとか。案内板に「江戸時代の宿場」と書いてあるのを見ると、この土地には宿場であった自負があるのかもしれない。

やがて、「住蓮坊首洗い塚」というのがあった。浄土宗の開祖、法然は伝道に熱心で、後鳥羽上皇の女官2名を尼にしてしまったために、怒りをかって島流し、その弟子の住蓮坊は、ここで処刑されたそうである。当時の興福寺など既成教団から浄土宗は弾圧を受けた。なるほど、主イエスも既成教団のユダヤ教から弾圧を受け、十字架に殺されたのであった。

旧道は、国道を出たり入ったりしながら続き、やがて武佐駅に到着。この駅の先が武佐宿であるが、先に進むと次の駅がないので、きょうは、この駅まで。

残りの時間は、せっかくだからというわけで近江八幡の市内観光とした。近江商人の街並み、そしてそういう古い町で伝道した宣教師ボーリスの業績(教会をはじめ、学校、近江兄弟社という事業)がそこかしこにある様子に感動。このように、町に入り込む伝道がしたいと、つくづく思わされた。

今日の歩行時間:4時間(推定12キロ)
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by rev_ushioda | 2013-01-08 22:28 | Comments(0)