「中山道歩き始め 草津宿~守山宿」

ついに、この日を迎えた。
‥‥と言うほど、そんな大げさなものではないが、思わぬ神経痛に悩まされた昨年を思えば、奇跡の感がする。そんな気分を味わうのも、たまにはいいことではないか。というわけで、1月7日、お誕生日祝いも兼ねて(兼ねていようがいまいが、この日しか調整がつかなかったが)、ついに、中山道初日を迎えることになった。一昨年11月に東海道(旧道)で京都に到着して以来、13か月、再び「街道人」になった。東名高速の米原から、琵琶湖東岸を南下、しばらくは雪景色だったが、琵琶湖南部は、雪はない。同じ滋賀県でも北と南ではずいぶん気候は違うようだ。空気こそ冷たいが風はなく時折、陽も差す3日間、快適な道行きであった。

草津宿

朝6時前に家を出て、草津に12時に立った。東海道と中山道の分岐点「追分」だ。1年前、東海道で「京」に向かっていたとき、ここを通ったのであった。何かしら感無量という言葉が頭をよぎった。
写真は、草津の道標脇にて撮ったもの。上が草津川。天井川だ。トンネル手前方向が「京」、右から、東海道が合流している。トンネルを抜けて、向こう側に中山道は始まる。草津川のトンネルを抜けると、まずは商店街のアーケードに迎えられた。
さて、このトンネルが掘られたのは1886年(明治19年)というから、江戸時代は、土手を上って、この上にある草津川を(水量が少ないため)歩いて渡ったのである。ところで、いくら説明を聞いても、どうして川が町の上を流れるようになったのか理解できない。

守山宿

守山宿に薬屋があって「京都まくり」と書いてある、と街道案内書に書いてあった。ちょうど、ほしい漢方薬があるかもしれないと思って立ち寄ったが、今は漢方はおいていないというところから、「まくり」とは何か(海藻のことで虫下し薬)、そのほか、店の歴史など、話し込むことになった。
また、かつて宇野という総理大臣がいたが、守山に生家があると言う。行ってみると、そこは今、地域や旅人に開放されていて、中には歴史的な遺物が展示されており、見ることができた。
ところで、その宇野家は、今は市の管理下になっていると言う。隣に、「街道歴史文化交流館」があって、町の人たちが運営している。なるほど、ここが違うんだと(勝手に)思った。我らが宇野元総理大臣となれば、それがどんなに短命内閣であろうが)NPOとかに渡さず市が乗り出し、こうして管理、運営する。権威という話をきのうの礼拝でしたばかりで、思い過ごしだろうか。

今日は野洲駅まで。駅に行くには、中山道から、「朝鮮人街道」に入る。
江戸時代、将軍が上洛するときには、中山道を外れて、鳥居本からこの野洲までは琵琶湖岸に近いルートを取ったという。家康が勝利して上洛するときに通った縁起の良い道で、野洲から見れば近江八幡、安土、彦根を経て、鳥居本に抜ける。参勤交代の大名には通らせなかったらしいが、将軍が交替したときに派遣されてきた朝鮮通信使一行だけは、このルートを通したそうだ。だから、この琵琶湖沿いのルートは、「朝鮮人街道」と呼ばれている。

写真は、中山道起点「草津道標」前にて。手前方向が「京」、中山道は、トンネルの向こうに続く。右に折れれば東海道である。
中山道の起点は京であるもの(約534キロ、69次)と、草津を起点とする考え方のもの(507キロ、67次)がある。

今日の歩行時間:4時間(推定8キロ)
1年ぶりということもあり、そして話し込んだり見学したりで、距離はたいしたことがないのに、予想外の時間がかかってしまった。
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by rev_ushioda | 2013-01-07 23:48 | Comments(0)