「被災地訪問」

気後れする旅行だった。和泉短大講演会の被災地一日訪問旅行。
以前、多賀城の友人を訪ねたが、今回は尋ねる人はなく、被災地を巡るだけである。そんなふうに通り抜けていいのか、という思いが抜けないまま17日の朝、東京駅から新幹線で一関に向った。一関から気仙沼に行き、そこからタクシーで気仙沼~陸前高田~南三陸の被災地を巡り、石巻線、東北線を乗り継ぎ、仙台から新幹線で東京へ。
私たちは、何かしなければいけないのではないかと思うが、現地の人は、今ではそんなふうに思っていないことが分かった。「今は慣れました」その上で、とにかく見て欲しいと、自分も仮設住宅に住むという運転手の方が言うのを聞いて、やや、ほっとしたのが正直なところである。
被災地は、2年近くになろうとするのに復興がまったく進んでいないことにショックを受けた。いや、気仙沼にしろ、陸前高田にしろ、南三陸にしろ、復興は難しいのではないかという印象をもった。陸前高田の「廃墟」となった町の跡地に立った時、私のようなまったくのよそ者でさえ、呆然とした。写真のような建物があるのはまだいいほうで、この建物だって4階まで津波でぶち抜かれている。津波が、町をさらって行ったという光景である。その一つの土地に、家族であろうか、数人が集まって潮干狩りのようにして何かをほじくり返していた。ああ、あそこに自分たちの家が、そして日常の生活があったのだと思ったら、目頭が熱くなった。
「防災センター」に立ち寄り、帰ろうとしたとき、水が道路に流れ込んできたのをみた。満潮であろうか、川の水が溢れている。地盤沈下を起こしたため、町のあちこちで道路が冠水している。たったそれだけを見て、私には恐怖心がよぎった。地盤沈下した町に、人は戻れないだろうと思った。
気仙沼線に沿った道路を南下したが、橋桁は、いたるところで崩壊、寸断されている。国道で山間を抜けるたびに平地に出るが、ことごとく、そこにあった町はすべてなくなっている。
自分も被災したというタクシーの運転手さんが言った。「あのときは、自衛隊の人、ボランティアの皆さんが来てくれて、本当に、助かりましたね。」
「そうですか・・・ それは、うれしかったでしょうね」
「・・・」
運転しながら目をぬぐっているのが見えた。
横浜にいたら、ニュースの話。やはり、ここに来て、見えるものがある。どういうふうにしてでもいい、現場なしには語れないと、去年の多賀城訪問以来、再び、強く思った。

帰宅して、グーグルの地図で見たら、航空写真は被災後の写真になっていた。訪問して見た光景が、上空からの写真で、見える。

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by rev_ushioda | 2012-11-17 23:59 | Comments(0)