「キリストの関心は」

私たちの教会は、カンバーランド長老教会と言う群れに属しています。ある時、静岡県富士市と清水市の間に蒲原郡というところがあることを知り、カンバーランドとカンバラ、何か似ているなあということで、以後、私には何かと気になる地名になりました。自分に関係のある名前に、私たちは興味や関心を持ちます。
ある牧師が「聖書の中にカナガワがある」と言っていましたので、見ると、なるほどカタカナで「カナ」という川「カナ川」(ヨシュア記16:8)があるのです。そうなると、発音が似ているというだけで、不思議にそこに関心が向かっていきます。それはどこにあって、どういういう川かなど、ここでも自分と関係のある名前に興味を持つのです。そしてそのような興味や関心がある一点から、ぐっと視野が広がっていくから不思議です。それまで漠然と読んでいた聖書も、身近に感じられるに違いありません。
私は、思い立って、泉教会の会員になった人に「クリスチャン・ネーム」を差し上げることにしました。聖書の中の人物を選び、会員になった人にプレゼントするのです。そうすると、聖書の人物は自分に関係のある名前になります。自分に関係するその人物に興味が湧いてくれば、聖書は、ぐっと身近になるに違いありません。
さて、そのように私たちは自分に関係があるものに対しては興味や関心を持ちますが、ここで話が少し飛ぶことを許していただいて、キリストという方は、では何に関心を示しておられるのでしょうか。ここが今日のお話なのです。キリストは、この私たちに最大限の関心を払っていてくださるのです! 私たちが無関心の時さえ、キリストはすでにご自分とこの私たちとを関係付けて見ていてくださっているのです。聖書に、こう書いてあります。「わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない」。「囲いに入っていないほかの羊」(私たち一人一人)を、もう、見つけているのです。

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by rev_ushioda | 2012-08-07 17:06 | Comments(0)