「殉教者の血の上に」

私は、大磯にある「澤田美喜記念館」に6,7回行きましたが、まだ行ったことがない皆さんとも、ぜひ一度、行きたいと思います。そこにはエリザベス・サンダース・ホームの創始者、澤田美喜が集めたキリシタンの遺物、殉教者の歴史を語る貴重な資料847点が、常時展示されています。彼女はキリシタンの遺物の収集家としても知られていて、集められている遺物は、国内最大規模と聞いたことがあります。
さて、私は「キリシタン禁令の高札」というものを、そこで初めて見ました。たとえば次のようなことが書いてあります。
一、切支丹宗門之儀者  ( キリシタン宗門の儀は )
  是迄御制禁之通固く ( これまで御制禁のとおり、固く )
  可相守事       ( あい守るべきこと )
一、邪宗門之儀者固く  ( 邪宗門の儀は固く )
  禁止候事       ( 禁止そうろうのこと )
こういうものが街道筋に立てられ、それを見た人によって隠れキリシタンは密告され、捕まっては拷問にかけられていたのかと、身震いしました。また、襖の取手がありますが、表は普通の襖の取手になっていますが、裏返すと、そこには十字架が浮き彫りにされています。職人に依頼しなければ出来ないものですが、密告の危険があるなかで、こうしたものを作らせたのです。それほど、十字架の前で祈ることはキリシタンにとって命であった、ということなのです。観音像がありましたが、慈母観音と言って、中国発祥の観音菩薩像で、稚児を抱き慈愛に満ちた造形表現となっていますが、よく見ると、知る人は知ると言いますか、それは幼子イエスを抱いたマリア像でした。マリア観音と言うのです。極めつけは、魔鏡というのがあります。何の変哲のない銅鏡、普通の鏡です。しかし、そこに太陽の光を当て、反射光が壁に当たると、何とそこに十字架にかかったキリスト像が浮かび上がるのです。高度な細工を施した礼拝用具でした。
なぜ、危険が伴うのにこれほどまでしたかというと、祈りのためです。礼拝のためです。命の危険を犯してまでも、祈り、礼拝を、守ろうとしたのです。私たちは、このようなキリスト者、殉教者の血の上に立っているのだということを、そこに立つと、思い知らされるのです。
それに引き換え、私たちはどうなのかと思います。ちょっとした自分の都合で、気分で、礼拝をおろそかにするのです。命をかけた殉教者の血の上に、その血がしみこんだこの日本の大地の上に、私たちの礼拝はあるのだ、ということを思いたい。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-07-27 23:33 | Comments(0)