「孤独死するな」

最近、孤独死という言葉を聞きます。しかも、家の中で、複数人がなくなっていた、ということです。どうしてそういうことが起こるのかと驚いていたら、何と、その後、そういうケースが後を絶たないのです。いったいどうしたことでしょうか。
行政としては、支援制度があっても本人が言ってくれない限り情報を得られなかった、ということですが、では、なぜ本人は助けをもとめないのでしょうか。自尊心があるからでしょうか。反対に生きることに意欲がなくなったからでしょうか。申し出たら、あれこれ質問攻めにあったとか、人からあれこれ後ろ指差されたとかで、嫌になったという人も、いるでしょう。それにしても、孤独死はどうにも辛い話です。
さて、この話を聞いて思ったのは、信仰的な孤独死というのは、ないだろうかということでした。牧師に、たくさんの祈りを伝えてくれる人がいますが、反面、一度も、祈って欲しいと聞いたことがない人もいます。祈りの課題がないのでしょうか。そんなことはないと思います。どんな節目にしろ、祝福を求めたり、献身の祈りは、必要だと思います。前に、車を買ったので祈ってください、と言われたことをしました。そういうことなのです。こんなことで牧師の手をわずらわせてはいけないと思ってはいけません。牧師の手は、どんな小さなことのためであっても、祈るためにあったのではないでしょうか。課題が大きすぎて、祈ってもらってもどうにもならないと、最初から、あきらめているのでしょうか。祈らなくてもいいと、祈りを捨てたのでしょうか。
自分で祈って自己完結しているのかもしれません。自立することは大事です。しかし、牧師が知った時には、もうすべてが終わったあとの「結果」だけだった、ということがないように、ぜひ、していただきたいのです。牧師の手は、祈るためにあるのですから。
皆さんは、教会(牧師)への119番通報は、していますか? 謙虚であるのは大事なことですが、知らせるべきは知らせ、祈るべきは祈ってもらうのです。信仰が死んでしまう前に、孤独死してしまう前に。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2012-07-19 17:53 | Comments(0)