「祝福を願う者の歩み」

先日、委員会が終わって帰りがけに、A牧師が「そうだ、今日、車を新しくしたんです。先生、お祈りしてください」と言われた。新車のための祈りは… 正直、いまだ、したことがない。意表を突かれた感じだが、とっさに祈った。
「この車を祝福し、この車に乗る人を祝福し、運転者を祝福してください。車中の会話が楽しいものになるように、また、どこに行くにも宣教のために用いられるように。主の栄光をあらわす車としてください。そして、事故から守られますように。事故によって誰かを苦しめたり、悲しませたりしませんように」。そう祈らなかった言葉もあるが、そういう思いで祈った。
A牧師は、教会員から請われれば新車のための祈りをするのだと言う。そういえば、私たちが共同で手がけた『礼拝書』には、住宅等完工の祈り、入居の祈りなどもある。初めて礼拝に出席した嬰児のための祈り、新成人の祝福の祈り、ずっとくだって、動物の埋葬の祈りもある。礼拝だけでなく、このような人生の折々、牧師を呼んで/牧師のところに行って、祝福を祈ってもらうことは大事なことである。もちろん自分でも祈ることだろう。しかし、牧師は祝福を祈るために遣わされた者である。
『牧会百話』という本を読んでいたら、明治時代、衆議院議長をつとめたほどの人であるが、東京から帰郷すると家に帰る前に教会に立ち寄り、帰郷の報告をしたそうであるが、もちろん牧師に祈りを願ったであろうことは言うまでもない。プライベートなことだからと言って、教会の祈りから切り離してしまうのではなく、一つ一つをそのように牧師の祈りを求める、「祝福を願う者」の歩みを、ぜひ、作りたいものである。

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Commented by Pastor A at 2012-06-02 16:09 x
先生、ありがとうございます!
あの時咄嗟に思いついて、夜遅くではありましたが、先生にお願いして良かったと思いました。新しい車に乗り始めるのに、とてもふさわしい祈りでした。(礼拝書続編にそのまま載せたいぐらいでした。)
僕の教会で「いつもそうしている」わけではありません。いままで、それを願い出てくださったのは3組の方々です。特にK長老はそのことの重要性を説いておられて、それで僕に、「先生の車はどうするんですか?」と尋ねてこられたのです。「自分で祈ります」と答えたけれど、中会議長に祈ってもらって本当に良かったと思いました。あらためて感謝します。
Commented by rev_ushioda at 2012-06-02 21:23
牧師はいつも自分で祈っていますが、祈ってもらうということは大事ですね。そういえば、祈ってもらったことは幾度くらいあっただろうかと、正直、思ってしまいます。改めて、よいことに気づかせて戴きました。
by rev_ushioda | 2012-05-30 14:56 | Comments(2)