「不調の中で」

不調のときは、思考が停止、もしくは鈍くなる。今回、脚の神経痛で気持ちが塞ぎこみ、風邪も重なったことで薬による眠気、こういう状態で思考がかなり鈍くなった。まだ尾を引いている感じで、何ともはがゆい感じがしている。一応、痛みは抑えられているが、原因はどこでも診てもらっていないわけだから、潜在的な不安をかかえたままだ。

積極的に動こうとか、考えようとか、そういう気持ちが沈んでいるというか、考えが出てこないというか、そういう時に私がすることは、ネットで検索した中山道をインターネットで開くことである。これから行こうとする道筋を辿る。まだ見ぬ道を思い描く。ただそれだけなのだが、不思議に気持ちが引き上げられる気がする。
道というのは、不思議だと思う。自分が歩いたことがない道が、ぐんぐん迫ってくる。ああ、そうだ。天に行く道、信仰の道、主イエスの道が、そのように聖書を読む時、ぐんぐん迫ってくるような読み方をしたいものだ。どうしたら、そうなるのだろうか。聖書は読んでいるといくらでも深みに進んで、楽しい。しかし、うかうかすると文字を相手にしてしまう。文学の楽しさになってしまう危険がある。ふと、そうだ、だから神学だ、という気持ちがよぎっていく。聖書を読んでそこで満足して終わらず、「道」が見えてくるようになるのは、その「道」が楽しくて仕方なくなるには、そこに必要なのは、やはり神学なのだ。そうだ、そうだとこの3週間ほどの不調の中で、何とはなしに、ぼやっと思っていることである。

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by rev_ushioda | 2012-05-07 18:56 | Comments(0)