「そこも、ここも、大山道」

教会のすぐ横を「大山道」が通っていることから、興味が出て、「ホントに歩く大山街道」という本を買った。残念ながら、これは「赤坂御門」からスタートするほぼ国道246を行くルートであった。私が期待したのは、もちろん和泉町を通る、東海道から戸塚で分岐する「柏尾大山道」である。
しかし、欲しかった本ではなかったが、思いがけない発見をした。この本にある「大山街道」は、246号線と重なっているということは・・・ 私が前にいたさがみ野教会の横を通っていた旧道となった246号線。まさにそれが「大山街道」だった。ああ、あの道がそうだったのか、今さらながら、驚いた。座間にいても、和泉町に来ても、横を大山道が通っている。大山道は、そんなに何本もあるのかと言えば、確かに、あることはある。しかし、そんなに、どこに行ってもあるかと言えば、そうでもない。それがたまたま両方にある、というのは、なかなか面白いではないか。

ところで、

私がなぜ大山道とか、大山街道に関心を持ったかと言えば、それが信仰の道、庶民の道だからである。県内に何本もルートができたくらい、それは、庶民の信仰の道であった。私は牧師として一つの町にとどまり、そこで伝道する者であるが、こうして信仰の道を作る生き方があったことに、いろいろと考えさせられるものがあるのだ。「点」を「線」にする生き方、さらには「面」にもしていく生き方があり、しかも信徒がそういう道を作る。これはいったい何か。もちろん、礼拝への道を作っていることは事実である。彼らの言葉で言えば、それは「お参りの道」「巡礼の道」というのだろう。そういう道作りがある。大山道は、なにやら大事なことを訴えている気がする。

『いずみ いまむかし(泉区小史)』という本の中に「暮らしと信仰の道・大山道」という記述がある。

大山道や大山街道と呼ばれている道が、神奈川県内には幾筋かある。その中で泉区を通っているのは「柏尾通り大山道」と呼ばれ、東海道の柏尾を起点とすることからこう名付けられた。
この道は横浜や東京東南部の人たち以外に、千葉方面からの人たちが舟で海を渡って神奈川の港や杉田あたりにあがり、武相国境を越えて柏尾から利用した人たちが多かったようである。
大山は丹沢山塊の東端に聳える1,246mの山で、円錐形の端正な山体は山岳信仰の対象になるに相応しい美しさを持っている。また相模湾から上がってすぐの山岳であるため、海からの気象的影響を受けやすく、雲が巻き起こって雨を降らすことに由来して、雨降山(あめふりやま)や阿夫利山の別名があるように、農耕を営む人たちには、水を司る水分(みくまり)の神としての信仰があり、また伊豆から湘南一帯、千葉方面の漁労民には、船からの方向を確認する山であり、また山林にかかる雲の様子で、気象の変化を知るなど、航海安全の守護神としての信仰もあつかった。
この道が使われた時代の庶民の信仰は、物見遊山の言葉を生んだ時代にふさわしく、現代のように複雑ではなく明るくおおらかであった。大山信仰は歴史も古く、関東の名山として庶民の厚い崇敬を集めてきたが、江戸期には山頂にあった巨岩を男根に見立てて子授けの祈願をしたり、遊女はこれに商売繁盛を祈ったり、また任侠の徒は刀に見立てて一家の守護神として崇めたりもした。
「商売繁盛」「家内安全」「大願成就」「豊漁祈願」「航海安全」「病気平癒」「武運長久」と、余りこだわりもなく賑やかであった。

以下、さがみ野駅/さがみ野教会(S)~ 厚木(G)
戸塚(S)~ 泉教会(「中田町」左)~ 長後(G)
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by rev_ushioda | 2012-03-26 23:11 | Comments(0)