「神学校閉校」

今日、東京基督教大学の卒業式に行ってきた。卒業生がいたわけではない。「卒業式・東京基督神学校閉校式」とあったからだ。
私は、東京基督神学校の前身「日本基督神学校」の卒業生である。しかも、この神学校にカンバーランド長老教会として初めて入学の道を開いたのは私である。長老主義にのっとった神学の学びが出来るということで、私が選択した学校であるが、その後、何人もがここで学ぶことになった。合併/移転によりその名称がなくなった時点で(伝統は維持してきたが)、私は、気持ち的には母校はなくなったと思っていたが、実際はそうもいかず、千葉に移転した後も評議員をしたり、折々に足を運んできた。
しかし、いよいよここで4年制大学プラス2年間の大学院修士課程と一緒になった「教職者養成課程」ということになった。発展的ということではあるが、ここでついに出身神学校の名前が消えることになったのである。この節目に際して、ぜひ記憶にとどめたいということで、出かけたのだ。
改めて認識した。1949年の神学校設立時は「東京基督神学校」であったが、2年後の1951年に「日本基督神学校」に名称を変えている。私が生まれた年である。62年半で卒業生540人。特に私が勉強したのは東久留米にあった校舎であったが、そこに校舎があったのは12年間だったそうである。そこで62人が卒業しているが、(端数の)2人というのは、私と、石塚先生である。
その後、国立に移転して東京基督神学校と名前を変え、さらに千葉に移転した。自由主義神学に対して「福音主義」という言い方があるが、そういう伝統は当初からあったようである。しかし、それは神学する上で問題にはならなかった。宗教改革の伝統を大事にするということだけを前面に出していたからだ。今、建学の精神は福音主義であると、はっきり打ち出している。それは「福音派」と微妙に重なって理解され、特徴となっている。卒業生の出身教会を見ても、それを裏付けている。福音主義の立場に立つのは、時代の要請でもあったが、しかし、だから時代に制約された立場でもある。神学校が、それを建学の精神にうたってよいものであろうか…宗教改革の伝統を大事にするということでよかったはずである…と思う日々である。そういうこともあって、3校合同で国立に移転して以降、気持ち的には、母校はなくなった、と思うようになった。昔を懐かしんで言うのではない。私の母校は、東久留米の「日本基督神学校」である。

昨年の卒業式(2011年3月11日)の映像(下)
今日も、ほぼこれと同じであった。地震がなかった点を除いては・・・
http://www.youtube.com/embed/POR-2oDi80c



配布された資料 「東京基督神学校の62年6ケ月 ― 神のことばとイエスのあかしとのゆえに」黙示録1草9節

 1949年10月16日、東京基督神学校、杉並区堀ノ内に設立(理事長・渡辺連平、学監・長谷川真)。1950年予科を併設、1951年に日本基督神学校と名称変更(校長 J・ヤング)。堀ノ内時代19年間の卒業生は37人(平均2人)、予科の卒業生47人。1966年、ヤング校長が退任
 1968年に東久留米市氷川台へ移転。1966年から73年まで、小畑進、宇田進、A・P・ソルトー、堀越暢治が教授会議長を務め、1974年、同職に就任した丸山忠孝が1980年から校長となり85年に至る。1980年に東京都の専修学校となり、東久留米時代12年間の卒業生は62人(平均5人)。
 1980年、国立市に移転。東京キリスト教短期大学、共立女子聖書学院と合同し、東京キリスト教学園が設立された。翌年、校名が東京基督神学校に戻る。国立時代は9年で卒業生は106人(平均12人)。
 1986年、下川友也校長が就任、AsiaTheological Association(ATA)の学位(M.Div.)授与資格を得る。
 1989年に千葉県印西市に移転、千葉県の専修学校となり、2000年には音楽科が設置された。2004年に山口陽一が校長となり、2005年、東京基督教大学共立研究所共立研修センターを神学校に移管し共立研修コースとする。
 2009年、学園理事会は神学校の東京基督教大学との統合を決定、翌年に学生募集停止、東京基督教大学への三年次編入が開始された。印西時代23年間の卒業生は288人(平均13人、内音楽科15人)。

 62年半の間の本科卒業生は481人、本科修了生12人、予科卒業生47人、計540人である。

 2009年の神学校は、神学科教職コース(3年課程 ATA・M.Div.)、神学科共立研修コース(2年課程 ATA・M.A.)、音楽科(3年課程 ATA・M.A.)に在校生57人。
 教授会は、宇内千晴、大竹海二、柴田敏彦、山口陽一、油井義昭。講師は、朝岡勝、嵐時雄、伊藤明生、伊藤僚、稲垣俊也、岩田三枝子、宇田進、岡村直樹、木内伸嘉、金換、木森隆、倉沢正則、郷家一二三、小林高徳、櫻井園郎、清野勝男子、天田繋、内藤真奈、飛田喜功、広橋嘉信、丸山忠孝、松原洋満、三浦譲、水草修治、山田泉、大和昌平、米沢陽子、ランドル・ショートであった。
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by rev_ushioda | 2012-03-09 20:57 | Comments(0)