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「殉教者の血が私にも」

ネットで検索、入手した原稿。ただし、現在は削除されており、出典は不明。
ここに出てくる「竹入悦夫」先生は、私に洗礼を授けてくださった牧師である。

心解かした「教団の謝罪」
 
戦時中に死んだ父にあてて1通の手紙が舞い込んだのは、その死から40年以上がたった1984年12月のことだった。「信仰の仲間をこのような形で切り捨てた罪を心から反省しております。…教団がおかしたあやまちを40数年も放置していたことをここに深くおわびいたします」
差出人は、キリスト教の団体である日本基督教団。戦時下では唯一の、プロテスタントとしての合法的宗教団体だった。国家に迎合し、治安維持法違反で検挙された牧師らに辞任を強要したなどとして、謝罪を表明したのだ。
読み終えた竹入悦夫さん(69)=神奈川県横須賀市=の胸に、複雑な思いが去来した。
京都で牧師をしていた父の高さんは、42年に逮捕された。獄中で感染したとみられる結核が悪化し、1年3カ月後に突然保釈されると、すぐに命を落とした。かかわりを恐れてだろうか、京都では葬儀を引き受けてくれる牧師は一人もいなかった。
残された家族は辛酸をなめた。皆で内職に精を出したが生活できず、横浜に住み込みの仕事を見つけて京都を離れた。生活難は戦後も続き、悦夫さんも母の琴さんを助け、中学を早退して夜中まで働いた。
新憲法の下、キリスト教は息を吹き返し、勢いを増していた。それなのに「なぜ、うちの家族は忘れられているのか」。若い悦夫さんの胸にはくすぶる思いがあったが、琴さんは愚痴を言わず、黙々と働き続けた。
40年の歳月を経て届いた謝罪の文書には、「今さら」という苦々しさと、「忘れないでいてくれた人がいる」という思いが交錯した。謝罪の集会も開かれた。高齢となっていた琴さんは感情を表に出さなかったが、「出席したい」と言って悦夫さんを伴った。
日本基督教団は67年に戦争責任の「告白」を表明。さらに17年後、この謝罪を行った。
一方、牧師が検挙され教会を解散させられた側でつくる日本ホーリネス教団は、97年になって戦争責任に関する「告白」を発表する。
被害者意織が強かった同教団だが、歴史を検証した上で、自らも「軍国主義と、それを支えた天皇制を支持した」などと表明したのだ。率直にそう告白するまでには、半世紀以上の歳月と指導者らの世代交代が必要だった。

「殉教者の血が私にも」_f0086426_23414986.jpg

写真説明文 「摘発された竹入高牧師が亡くなった後、京都で最後に撮影した家族の写真。手前右が悦夫さん、後ろが母・琴さん(ご家族提供)」

参考 「日本キリスト教団京都復興教会の教会案内」には、以下の一文がある。

1946年2月12日創立。戦前の朱雀(すざく)教会は弾圧により解散し、当時の朱雀教会牧師であった 竹入 高(たかし)牧師は殉教されました。戦後、緒形乙枝牧師により山科の地に復興。「朱雀」の名は京都の一地域名のため、現在名に改称され、京都復興教会となりました。

私は、上の写真の竹入牧師から洗礼を受けた者である。私には、殉教者の血が流れているのだと思っている。

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Commented by 北の国の放蕩ムスコ K at 2012-03-08 18:58 x
大変ご無沙汰しております。国立教会の先生のブログで、神学校での記事から、久しぶりに先生のブログへお邪魔しまして・・
「あれ??これって親父じゃん!」と、驚き?ました。
これは、数年前に東京新聞に掲載された記事と記憶しております。
殉教者の血・・
とても考えさせられる一言です。
今は、単身赴任で、青森・弘前におります。長女は昨春から、横須賀のジジババと同居し、関東学院大学で福祉を学んでいます。
それでは、また。
Commented by rev_ushioda at 2012-03-08 23:07
北の国の放蕩ムスコさん
アレアレ、まあ~ 久しぶり。ようこそお訪ねくださいました。ご無沙汰しています。そうですか、娘さん、関東学院に・・・ 私は工学部でした。時代はめぐっていきますね。で、放蕩息子・・・教会行ってないみたいな・・・ でも「殉教者の血」が、   ね!!
Commented by 北の国の放蕩ムスコ at 2012-03-12 23:06 x
こんばんは・・

>教会行ってないみたいな・・・

・・ところがどっこい(?)こちらに来てから、マジメに(?)
礼拝に出席、良き交わりを持たせて頂いております。

縁も所縁も無い地での単身赴任で、妙に寂しいというか、「仕事上以外の会話=ヒト付き合いがしたい」・・あれだけ避けていたのに、日曜日の午前中が待ち遠しい様に、いつの間にかなっていました。

3.11から昨日で一年。幸い、ここ弘前では津波等の大きな被害はありませんでしたが、停電・燃料や物資不足、仕事で行った
一週間後の石巻の惨状・・。
あの時も含めて、同じ東北に住んでいて、色々な意味で「このままでいいのだろうか?何か違うんじゃないか?」と思うようになり・・

ふと祈っている・・

ふと聖書を開いている・・

ふとネットで、教会等のブログやHPを読んでいる・・

今までの自分には無かったコトばかり。
どうしたもんでしょうか??
Commented by rev_ushioda at 2012-03-12 23:59
o(^o^)o
それ、もう「放蕩ムスコ」とは言わないのでは??
最近、傷から始まる物語(安息、命、慰め、希望など)があることを思っています。ヨハネ20:27「あなたの指をここ(釘あとの傷)に当てて、わたしの手(傷ついた)を見なさい」。傷がなかったことにしてしまわないで・・・
by rev_ushioda | 2012-02-22 23:39 | Comments(4)

横浜で牧会する牧師のブログです。


by rev_ushioda