「あと10年」

現役で牧師としていられるのは、この1月で最長10年を切った(通常5年)。
たまたま、N聖書神学校の卒業式で祝辞を中会議長としての立場で頼まれた。何を話したらいいのだろうか、などと思っていたら、なぜか、自分の後ろはどうだったか、どういう道を歩んできたか、という思いにもなる。

私のパソコンのデスクトップ画像は、神学校の卒業式の写真であるが(下に添付)、丸山校長(その頃は教授会議長と言っていたと記憶する)の派遣の言葉が響いた、あのホールから出発したという思いがあるからだ。

しかし、記憶は、もっとさかのぼる。赤軍派の拠点校、K学院大学で、学生運動の嵐が吹き荒れる中、それを横目で見ていた、いわゆる「ノンポリ(政治に無関心)」学生であった頃。神学校に入学して、まるで塾のような神学校生活の後、派遣された「伝道所」は、バブル期ではあったがそんな世の中とは無関係のような貧相な借家。そこで伝道した頃。そこに仕えた約20年の間に、周りは気がつかなかったようであるが、心的な不調を少なくとも4度、経験した。めまい・・・十二指腸潰瘍・・・水が飲めなくなったこと・・・電話に出れなくなったこと。皆、心的原因である。4度目の治療は相当お金がかかった。そういうことを経て、15年前、もう一つの開拓を志した。思い出せばいろいろある。

大きく見れば、団塊の世代の直後に属する。戦禍を経験していない、平和な時代に生を受けた。学生運動に乗れずに、しかし、召されたところは、伝道の場であった。牧師になっても、別にとやかく言う人はいない。まあ、その時は、牧師がどういうものか知らない親にとっては唐突な話で、親を泣かせてしまったが。その父も、自分の葬式をキリスト教ですることを許し、15年前に逝った。93歳の母は、去年のクリスマスに息子の手から洗礼を受けた。こうして、キリスト教と言っても、迫害を受けるわけではない。そういう時代に牧師に召されたことは、自分にとってどういう意味があったのだろうか。
はっきり言って、牧師になってから、そこから思索の旅が始まった。出遅れた者を、主は召された。依然として、よちよち歩きを脱し得ない。あと10年と言っても、あっという間に過ぎるだろう。還暦を越えたからといって、あせらないと言ったら、うそになる。何をすべきか、考えるべきか、そして、何をすべきでないか。
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by rev_ushioda | 2012-02-06 12:01 | Comments(0)