「私の牧会スタイルについて」

私は、もうずいぶん前から、自分の牧会スタイル、牧師としての生き方を定めてきたように思います。というのは、それまでは、試行錯誤と言えばまだいいのですが、途方に暮れて、人の意見を次々聞いてはやってみようとしたことがありました(実際、すべてやってみたのではありませんが)。しかし、自分にあわないものを取って付けても、「うまく」いくはずがありません。それで、決めました。どんなに良いと思っても、人の意見にその都度、動かされるのはやめよう、と。それは、その時はよくても、自分の牧会にはならないのです。つまり、責任が持てない。そういうことではいけないと思ったのです。
しかし、実際、人の意見には動かされやすいわけです。聞かなければ、どう思われるだろうかという、恐れが付きまとうからです。だから、人の意見にその都度、動かされるのはやめようと、「決め」なければならなかったのです。そして、聖書、信仰告白、また、教会の歴史が証言するところに従っていこう、とも決めました。そして何よりも、自分で説明できないことは、自分の中で消化されるまでは、簡単には聞かない(動かない)と決めました。私なりの責任の取り方を学んだのでした。
その結果、結構、人の意見を聞くようで聞かない。頑固になったかも知れません。うまく合わせなかったために、失わなくていい人を失ったかも知れないのです。それでもいいと決めました。自分の足場を持たない優柔不断な人に、本当に信頼してくれる人はいない、と思ったからです。この牧会姿勢に頑固であるなら、それはそれで信頼してくれる人がいると信じました。それも、もうずいぶん前のことです。
私は、規定では「定年」まで満5年となりました。しかし、規定にはただし書きがついていて、教会との関係では2年、2年、1年と延長できます。すると、私の現役は、今年の1月の時点で最大であと満10年となりました。いよいよ頑固になって、信仰の仲間たちの中で、私に託された役割を全うしたいと思っています。神さまの前に立った時、仲間たちの信仰の責任は私が引き受ける覚悟を持って。

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by rev_ushioda | 2012-02-03 13:02 | Comments(0)