「兄弟・姉妹」

以前、教会に始めて来られた方が、週報等に書かれてある信徒の名前の後に「姉」「兄」という敬称が付けられているのを見て、「教会には家族で来ている人が多いんだなあ」と本気で思われたそうです。言うまでもなく、それは、キリスト者同士、互いを呼ぶときの「敬称」です。
ところで、なぜ教会で兄弟・姉妹という敬称を用いるようになったか、その起源は、主イエスが言われたからです。すなわち「家族の者」(マタイ10:25)、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟・・・」(マルコ3:31以下)、「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない・・」(ヘブライ2:11)。
また、パウロも異邦人キリスト者を指して「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり・・・」(エフェソ2:19)と言っているからです。
こういうところから分かるのは、兄弟・姉妹、また、家族というのは、信仰における関係性である、ということです。神の御心を行うから、迫害を受けるから、「罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じように」なったイエス(ヘブライ2:17)を信じるから、だから、信じる者たちのことを兄弟・姉妹、また、家族と言うのです。
主イエスがそのように関係付けて下さったから、私たちは、兄弟・姉妹なのであって、つまり、ほかの理由や目的があるのではありません。普通私たちが考えるのは、血肉関係にあって、お互いに訪問しあい、物品の遣り取りをして励ましあう、そこに兄弟・姉妹を見ています。しかし主イエスは、だから兄弟・姉妹だと言われたのではなかったのです。もちろん、そういうことを必要とする人にそれをすべきことは、言うまでもありません。逆にそれを嫌う人もいるのです。すると、嫌っているうちはまだ本当の兄弟・姉妹ではないと屁理屈を言い出すかもしれません。また、ここまでしてくれたら兄弟・姉妹を感じるけれど、それをしてくれないと兄弟・姉妹とは感じられないとなれば、その人が満足できるため、いったいどこまでしたらいいのかという線引き、程度の問題が出てきます。そういうことを議論し始めたら、私たちはきっと、それだけで焦燥しきってしまうでしょう。
兄弟・姉妹という意味は、罪を償ってくださった主イエスを信じる仲間という意味においてなのです。迫害さえ共に受ける仲間、という意味なのです。聖書を共に読むことにおいて、礼拝に共に集うことにおいて、そこで信仰を励ましあうから、その関係に生きることを「兄弟・姉妹」「神の家族」と言うのです。

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by rev_ushioda | 2012-01-08 23:52 | Comments(0)