「受けるよりは与える」

スイスの神学者E・ブルンナーは、火は燃えることによって存在するように、教会は宣教によって存在すると言っています。
今、クリスマス案内のために町中を歩き回っています。皆さんは、お隣のポストに教会のクリスマス案内のチラシを入れる時、何を感じたでしょうか。少し先読みすることを許していただければ、クリスマスを案内する、教会を案内する時に感じるのは、「自分はキリスト者であったのだ」と、初めてのように感じる、感動ではないでしょうか。
出て行くときに、初めてのようにして、自分が何者であるかを確認するのかも知れません。今まで、自分の内側に向かって堂々巡りしていたいろいろな思いが、パッと晴れやかになる経験をしないでしょうか。「そうだ、自分はキリスト者であったのだ」と。自分の中でぐるぐる回っていた時には感じることができなかった自分という存在を、1枚の教会案内、1枚のクリスマス案内を、人に手渡すことで確認できるというのは不思議な経験です。「火は燃えることによって存在するように、教会は(=キリスト者は)宣教によって存在する」、本当ではないでしょうか。
宣教とは、別にチラシ配りだけではありません。日ごろのキリスト者としてのあらゆる振舞い(証し)や、自分が属する教会を喜ぶこと、家族を礼拝に誘うことなど、さりげないところでも表すことができます。
イスラエルにある湖の一つはガリラヤ湖で、魚がたくさんいる、生きている湖です。ヘルモン山の雪解け水を受けるヨルダン川の水が流れ込み、もう一方から流れ出させている。もう一つの湖は、同じヨルダン川の水を受ける死海ですが、海抜マイナス400メートルという世界で一番低い所にある湖のため、流れ出す川がない。塩分の濃度が高くて、生きている魚は一匹もいないのです。その名前の通り、死んでいる湖です。
パウロは言っています。「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すように」(使徒言行録20章35節)。

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by rev_ushioda | 2011-12-13 09:52 | Comments(0)