「立ち止まってみる」

ある日、私が駅の自動改札を通ろうとしたらピンポーンという音がして、バタンと扉が閉まったのです。あれは、経験した方は分かりますが、とても嫌な感じですね。出てきた切符を見ると、どうも私が買った切符ではない。駅員さんに尋ねると、どうも前の人の切符が機械に詰まっていたらしいということで、無事、通らせてもらったのですが、しかしあのドキッとした感じは、まだ消えません。
私は、人生の終わりの時を考えました。自分では「これで良い」と、そういう自負を持って誰も生きているわけですが、しかしその自分の目には良い人生も、別の目から見ると、結構違う評価というのがあるのかも知れない。通れると思って行く、その最後の門で、警告音と共に急に扉が閉められる。
私たちは自分なりに真面目に人生を生きており、だから人からとやかく言われたくないという自負があります。でも、一生懸命というのは、たとえば高速道路を一生懸命に走る車を考えるといいと思いますが、極端に視野が狭くなり、周りが見えなくなるのですね。同じように、真面目で一生懸命であればあるほど、自分が中心の価値観を作っているのかも知れない。立ち止まって、視野を広げる必要があります。
聖書の中に、律法に従って真面目に生きている、いわば「善良な市民」が出てきます。彼らは、罪を犯した一人の女性をキリストのところに連れてきて、こういう奴は法律をきちんと適用して死刑にすべきだと、血走って言うのです。ところが、キリストは地面に何か書き続けていました。─ 沈黙の時が流れ、そして言われるには、「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」。すると、一人去り、また一人去り、こうして皆、その場を去って行きました。キリストは、沈黙の時間を大事にされた。真面目で一生懸命になっている人々を立ち止まらせる、この「無駄なような時間」が大事だったのです。

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by rev_ushioda | 2011-10-27 09:20 | Comments(0)