「被災地訪問」

ようやく、多賀城のH姉を訪問できた。座間にいた時、洗礼を受け、その後、ご主人をなくされ、郷里の多賀城に帰られた方である。

震災後、連絡がとれずにいたところ、T牧師が宮城に行かれると聞いて、住所を渡し、ぜひ探してほしいと願いを託した。津波で被災、妹さんの家に避難していたために連絡がとれなかったのだが、たまたま家の片づけにきていた彼女に会うことができたとT牧師から聞いて、まずは安心した。以後、携帯電話を通じて連絡がとれるようになり、また、教会の仲間たちが再三訪問してくださり、中会からも義捐金を手渡すことができた。そういうことの後の訪問であった。

もう、30年も前に神奈川から送り出し、10年ほど前に一度、私の家族でお訪ねして泊めてもらったこともある彼女の家は、建物の形はあるものの人の高さ以上の波をかぶり、ここに戻ってきて住み続けるには、かなりの迷いがあると思われる状況であった。近所を見回すと、そういう家が、新築の家であっても何軒もある。今、仮住まいされているアパートから見えるご実家も、地震で壁が崩れ落ちている。
「こっちの川から、そして、まさかと思ったのは、向こうのあの林を越えて、水が来たんです」。見ると、その向こうは石油コンビナート。林の向こうにあるタンクは、次々、爆発したそうである。

私が聞いたのは、話としてである。実際、この場にいた方々は、生きた心地がしなかったであろう・・・

止まらない話であったが、帰る時間もある。「(神奈川で亡くなった)主人のお墓を、10年近く前に建てたんですよ」と言われる、お墓に案内してもらった。その途中、海岸沿いを通ってもらった。ニュースを通して見て来た、家の「土台」が、そこかしこにあった。「土台」の隣に、流されずに残った家があるが、よく見ると損傷がひどい。夏草がはえ、ただのただっ広い空き地かと思うと、「ここも、あそこも、ずっと、家があったんですよ、ずっと、ずっと・・・」 「あそこに海は見えなかったのに、今は、見えるんです」 「しばらく、この道は、私は通れませんでした」。車の中は、じっと外を見つめるしかない私たちの中で、彼女が説明する言葉だけが続く。良く見ると、草原のあちらこちらに、めちゃくちゃに壊れた車が置き去りにされたままになっている。その向こうには、「瓦礫」が1ヵ所に集められた「山」が見える。7ヶ月前まで人の住処であった所は、今、草に覆われ、家などなかったかのように、災害など何事もなかったかのように静まり返っていた。

朝6時出発、帰宅は24時半であった。日帰りにはきつい行程であった。疲れた。いや、まざまざと見せつけられた被災地の現実による精神的疲れのほうが、大きかったか。災害は、物が失われることではない。そこに生きた人間の日々の生活が、また、家族が、仕事が、希望が、そして命が、失われることだ。歴史は、「2011年、東日本大震災」と記録するだろう。しかし、そこには語っても語りつくせない、溢れる人間の言葉があった。

お墓は、津波に襲われた海岸を眼下に見下ろす高台にあった。墓石を見ると、「いこいのみぎわに伴われる」という言葉が刻み込まれていた。「みぎわ」とは、水際、水のほとりである。「主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる」という聖書からの言葉であった。被災地の海岸線に立って、天の「みぎわ」を深く想起した。
f0086426_20472164.jpg

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-10-18 10:35 | Comments(0)