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「K子さん葬儀 前夜礼拝説教」

葬儀が終わり、気づいたら7月半ば。こんなに暑いのに、どうしてセミが一匹も鳴いていないのだろう、と思った。疲れて、私に何か時間感覚がなくなってしまったのだろうか。(いや、確かに今年は、セミが鳴いていない。どうしたのだろう。これから、うるさく鳴き始めるのだろうか・・・)
とにかく、葬儀の後は、疲れを覚える。日曜日の説教から続いたので、なおさらか。パソコンの前に座ると、もう、こっくりこっくり。そんな1、2日を過ごして、ようやく、動き始めたかな・・・ 前夜礼拝の説教を掲載しておこう。

ヨハネによる福音書11:1-5、32-35、43

K子さんは、1950年10月14日、北海道で、3人兄弟の次女として誕生されました。そして小学校3年生のときに、北海道から、神奈川県に移って来られました。
1979年(29歳)、看護学校に入学し、卒業後、南大和病院に勤務、以後、29年間そこでお勤めになった・・・ ということは、看護学校に入学するまでの29年間と、その道に進んで看護師として働かれた29年間とは、ちょうど同じなのです。
2008年暮れに大腸がんを発症され、2年間で何と4回の手術を繰り返してきました。職場復帰を強く望んでいましたが、その後の体調が整わないまま、昨年8月、1年前に病院を退社されています。今、申し上げたように、29年間の看護師さんとしての勤務でした。
教会との関係は、お姉さんが教会員であったことや、その前にお孫さんの葬儀に私が関わったことなどがあり、時々、おいでになっていました。
手術を繰り返していた頃、1昨年の2009年9月でしたが、教会の礼拝にご夫妻でおいでになりました。そういえば、教会に来られたとき、最初にお聞ききした言葉は、「お葬式をお願いします」ということだったと思います。そういうことを考えていたのです。
以後、ずっとお休みされないで、毎週日曜日、ご夫妻で礼拝に来られていました。おいでになったその年(一昨年)のクリスマスに、夫婦そろって洗礼を受けられ、夫婦で、クリスチャンとしての新しい生活が始まりました。
K子さんにとって本当にびっくりしたことがあるとすれば、夫のYさんが、一緒に洗礼を受けたことではなかったでしょうか。「あなたは救われないわ」と言っていましたが、その気持ちに偽りのないことが分かって、後から、謝っていました。
昨年6月の4回目の手術を最後に、その後、K子さんは、治療を一切拒否されて来られました。 ・・・治療をしないということは、何の検査もしない、ということです。病気がどのように進行しているか、誰もわからないまま、しかし本人はきっぱりとそれでよしとして、時間が流れました。最後は、ご自宅で緩和ケアを受けてこられましたが、点滴も、酸素吸入さえも、お受けにならなかったのです。
どこかで、気持ちをスパッと切り替えたのです。しかし、ご家族がその気持ちを受け止めるのに、相当の苦しみ、葛藤がおありだったことを、私も記憶しています。
治療は一切しませんから、当然、良くなることはあり得ず、私たちも、「良くなりますようにお祈りします」とも言えません。ただ、その日、「死の時」に、向かっていくしかありませんでした。そういう、命が限られた日々、何よりも礼拝を大切にされて来たのです。一人の人が「命をかけた」礼拝を、私たちも、ずっと共にさせていただいてきました。
それでも3月までは動くことが出来ていて、日曜日の礼拝と、木曜日の聖書会は、とても楽しみにされて、おいでになっていましたが、4月の第一週の聖書会でしたか、足が動かず、私たちは急速な変化に驚きました。そんな状態でよく教会まで来たと言いましたら、「《実家》に寄って行きたかった」と言っておられました。
それ以降、もうおいでになることはできず、今も申し上げましたが、ご自宅で緩和ケアを受けながら、天に帰る日をそれこそ心待ちしておられました。緩和ケアの専門の先生が「あと1~2週間」と言われた時もあり、ご家族も覚悟されたのですが、不思議にその後、普通にお話できる状態が戻って、(本人は辛さがありますから不本意だったと思いますが)しかし、ご家族にとっては結果的には3ヶ月間というお別れの時がプレゼントされることになりました。

そして、先週の金曜日のことでした。ついに、この時が来た、という思いがいたします。

ご本人が、今述べたような、死を覚悟しての日々でしたので、私もお見舞いのたびごとに聖書を読むのですが、天国の約束の箇所を必ず開いて、祈るのです。亡くなる3日前、敬子姉のために私が最後に開いた聖書の言葉は、次の言葉です。ご一緒にお聴きください。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
(以下、「続きは、こちら」をクリックしてください。)



さて、ここで少し、印刷してある聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」。病人は、ラザロ。その姉妹たちは、イエス・キリストのもとに、その切なる願いと、求めを、持って行きました。
なぜ、イエス・キリストだったのでしょうか。あえて考えておきたいことです。私たちもまた、イエス・キリストのところに色々な求めと願い、祈りを持って行くことができるとしたら、その理由・根拠は何なのでしょうか。なぜ、それができるのでしょうか。
「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」 とあります。そうなのです。主イエスは、この兄弟たちを、愛していた。ですから、「愛されている」という思いがあるから、兄弟たちは主イエス・キリストに、深刻な状況にある自分たちの兄弟ラザロのことを告げたのです。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」。
病気を認める。起こっていることを認める。認めるということは辛いことです。何でこんなことになったのか、という思いがある。できれば避けて通りたいのです。しかし、その現実を受け止めるということは大事なことではないでしょうか。大事というのは、そこから新しいことが始まるという意味です。
そこで、主イエスに「愛されていた」からこそ、彼らは病気と向き合うことができたのです。いえ、主イエスは言われたのです。「この病気は死で終わるものではない」。家族は、実は病気と言いながら、「死」と向き合っていたことが分かります。愛されているから、愛してくださる方、イエス・キリストの前に正直な気持ちになる。取り乱さず、現実を認識する。K子さんも、ご家族も、そうだったのではないでしょうか。
「病気なのです」(「死んでしまうのです」)と、彼らは、事実を告げています。しかし、ここが大事。「だから、どうして欲しい」とは言わない。事実を告げるだけ。愛してくださる主イエスがどうされるか、その一切を、主イエスに委ねるのです。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」「死にます」と、それをきちんと言う。つまり、事実を認めることができるということは、本当に、大事なことなのです。次に起こることを準備することになるからです。

さて、イエス・キリストはどうしたでしょうか。案の定、到着したときは、墓に葬られて4日もたっていたと言います。「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して」と書いてあります。
キリストは一体、何に対して、憤りを覚えられたのでしょうか。興奮されたのでしょうか。すぐに分かることですが、死に対して、です。人々を悲しませている力、死の力に対して、キリストは、ここで激しい憤りを現しているのです。「憤りを覚え」この言葉は、もともと、どういう言葉かというと、「(馬が)鼻を鳴らす」という言葉です。馬が鼻を鳴らすのは「怒っている」からです。だから、憤りと訳したのです。
ラザロは死んでしまった。死の力が、私たちを、有無を言わさず、圧倒しているのです。その力に対して、(人間はあきらめるかも知れない、しかし)主イエス・キリストは、あきらめではない、「憤り」をもたれた、というのです。
イエス・キリストは、そのような感情を持って「墓に来られた」のです。死に対する、人を死に閉じ込めてしまう力、支配に対する、イエス・キリストの怒りが、ここは、強く現れているのです。人々は、もう、あきらめています。しかし、主イエスは涙し、激しく憤るのです。心から私たちの共感を呼ぶ、主イエスの姿ではないでしょうか。
このあとカットしていますが、この先のお話をしますと、キリストは墓の前で「その石を取り除けなさい」と言うのです。当時の墓は、ほら穴のような所でしたが、そこに大きな石の蓋をしました。兄弟は、「四日もたっていますから、(石をどけたら)もう臭います」と言います。「臭う」。リアルな表現を書いています。人間の体は、死んだその時から、腐敗が始まっていきます。ドライアイスがあればいいのですが、当時は、ドライアイスもありません。四日も経つと、もう、異様な臭いが立ち込めていたでしょう。
ところがキリストは、兄弟たちが何と言おうが構わず、その墓の中に入って行かれる。そのキリストの顔を、想像することができるでしょうか。そして、大声で言われた。「ラザロ、出てきなさい」。すでに死んでしまったラザロを前にして、主イエス・キリストが「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれたのです。人間を朽ち果てるに任せはしない、そうはさせない、というキリストの決意の言葉でした。
イエス・キリストは死んだ人間に対して「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれた。この言葉は、文章にして、活字で書くと、これだけで終わりです。しかし、実際はどうだったのか。そうすると、はっきりわかることがある。キリストは、死に対して、激しく「挑戦」している、ということです。死と、死の力、死の支配に対して、戦いを挑んでいる。そういうイエス・キリストの姿が、ここに描き出されているのです。

私たちは多くの場合、愛する者を奪う死に対して、本当に何もできない。あきらめてしまい、どうしようもない無力感に襲われます。「(あなたが)もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。でも死んでしまったと、人間の力の限界があるのです。病気や死に対して、「夫なのに何もできない…」「妻なのに、何もできない」「親なのに何もできない」「子どもなのに、何もできない」。葬儀の場で、私は幾度も、これを聞いてきました。私たちは、本当に無力なのです。
しかし、ただ一人、イエス・キリストが、憤りをもって真っ向から、死と向き合ってくださるのです。

K子さんは、クリスチャンでした。クリスチャンは、日本語で「キリスト者」と言います。キリスト者は、キリストに従う者のことを指します。K子さんは、癌が体を蝕み、いよいよ勝利を納めるかに見えた最後の時に、忽然と信仰の思いが動き始め、2009年の9月に泉教会においでになり、すぐに洗礼を受け、2年に満たない「キリストに従う者」としての人生でありましたが、しっかりと人生の締めくくりをされたことを、初めに申し上げました。
ここに、「ラザロ、出てきなさい」という(死に対して挑戦する)キリストの言葉が、それからどうなったかという、その「結果」があるのです。
癌に勝利を渡したかのように見えたその時、K子さんにキリストは、「出てきなさい」と言われた。キリスト者となった。その時、死で終わりではなくなったのです。死に支配権を渡さず、「出てきなさい」と言うキリストに自分を渡して、任せきってしまったのです。

1563年に作られた『ハイデルベルク信仰問答』という本から、このあとその冒頭を一緒に声を合わせますが、そこにはこう書かれています。
問:生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。答:私が 私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主イエス・キリストのものであることです。

K子さんは、こうして「ただ一つの慰め」を今、私たちに証しているのです。生きるにも死ぬにも、私がイエス・キリストのものであることです、と。病気を認め、死を認めるという、このところから、始まる物語がある。それは、K子姉が「ただ一つの慰め」に生きたことです。そこに引き出されたことです。K子さんの証しは、あなたも、この道に行きなさい、ということではありませんか。

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by rev_ushioda | 2011-07-14 16:54 | Comments(0)

横浜で牧会する牧師のブログです。


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