「祝福(祝祷)」

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように、今、そして明日も。」
礼拝の終わるとき、派遣の言葉と共に祈る、祝福(祝祷)です。皆さんは気づかれているでしょうか。私は、多くの教会で祈られている祝福とは、少しだけ違う言い方をしているのです。「明日」という言葉を使っています。
ある人が、明日が手術という人のお見舞いに、病院に行ったのです。しかし、翌日、その人は帰らぬ人になってしまった。お見舞いに行ったその人は、神学生、まだ牧師の卵でした。見舞った人が亡くなってしまったために、「自分は何もできなかった。何の慰めも語れなかった」と落ち込みました。しかしその時に、先輩の牧師がその人に言ったそうです。「君は別れる時、何と言ったのか」「では、また明日会いましょう、と言いました」「それなら、君は“永遠の明日”を指し示したのだ。君が普通の人として“明日”と言ったのなら、それは単なる挨拶に過ぎなかった。しかし君は信仰者として病人のところに行ったはずだ。だったら、“また明日”と言ったその明日は、亡くなった人にとって、永遠の明日になっている」。
同じ言葉でも、相手にとっては「永遠の明日」を指し示す言葉になる、というのです。
私たちは、つたない言葉しか知りません。いえ、その言葉さえ、かえって人を傷つけることもしばしばです。しかし、そのような無力を感じるしかない中にあっても、私たちは人間として心を高く上げることができるのです。言葉に、「意味」を感じたときです。特に、「明日」に対して、永遠という意味を発見したとき、私たちは人間らしく、心を高く上げられるのです。
礼拝の終わりの言葉、祈りの言葉こそ、「永遠の明日」を指し示す言葉なのです。今日が、最後の礼拝になるかも知れない。しかし、そこで「永遠の明日」を仰ぎ見れるように、私は、皆さんの上に祝福を祈ります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
by rev_ushioda | 2011-06-11 18:56 | Comments(0)