「感情は一瞬にして」

「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける…早く和解しなさい」 マタイによる福音書5章21-26節

人のお話を聴く現場でしばしば出会うのは、事情を説明されますが、感情に気づいていない、ということです。今回の震災で「頑張ります」と皆、言う。でも、よくよく話を聴いていくと、悲しいんだよ・・・と。人は、自分の感情を言わない。いえ、気づいていないのです。怒って話しているから怒っているのかと思うと、意外と、本人は、怒っていることに気づいていないことがあるのです。
「腹を立てる」というのは、感情です。しかし、自分では、腹を立てるような感情はない、と言うことが多いのです。正当なことを言っている、正義とはこうだとか、秩序とはこういうものだとか、意外と本人は並べ立てる。冷静に話しているつもりなのです。しかし、傍目から見れば、もうだれが見ても、腹を立てている感情そのもので話しているとしか、言えないことが起こります。自分の正義は、上から目線になり、しかも自分ではもう押さえ込めない、怒りの感情に支配されているのです。感情は、本人の意識とは別なところで、動き始めるようです。「腹を立てる」というのは、人のことだ、自分はあくまでも正義の中に生きている、と思う人がいたら、その人にこそ、腹を立てているのは、正義を言っているをあなただ、と主は言われるのです。
人間の正義には、いつも、怒りがあるのです。自分が裁判官になってしまうのです。そして、「腹を立てる」。その「腹を立てる」怒りの感情は、人間関係を一瞬に引き裂いていきます。津波の傷跡を見たでしょう。普段の生活が一瞬にして、無残な姿になりましたね。「腹を立てる」という感情が襲ってくると、兄弟であるという関係さえ、破壊するのです。
「早く和解しなさい」と主は言われます。しかし、その主が、まず和解を申し出てくださったのではありませんか。パウロの言葉では、こうなります。「その十字架の血によって…御自分と和解させられました。」(コロサイ1・20) だから、私から申し出るのです。正義は主にあるのに、私たちは感情に支配されて、自分の正義で「腹を立てて」いたのです。正義を私物化してはならないのです。主の和解の中に、私物化していた正義をお返しししたとき、感情は、私たちの中でただしく働き始めることでしょう。

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by rev_ushioda | 2011-04-17 22:56 | Comments(0)