「線で読む聖書」

聖書は1冊に編集され、製本されていますが、実は66もの小さな本からできています。その1冊の、たとえば福音書を日曜日の礼拝で少しづつ読んでいくと、読み終わるまで2年以上かかります。一気に読めば数時間で読めてしまう本を、2年、かけるのです。
私は、このような長さで聖書を読むということは、本当に大事なことだと思っています。2年といえば、そこにはどういうことがあるでしょうか。楽しいことも、もちろんあるでしょう。しかしまた、人間関係が悪くなることも、リストラに遭うことも、あり得ます。病気をしたり、思いがけない事故に遭うことも、そして、家族の誰かが亡くなるということだって、あります。そういう2年にわたって聖書が読まれるということは、聖書は、今言ったどの例に対しても問題をごまかしたり、逃げたりしないで答えている、ということになります。
アメリカのあるクリスチャンの家庭にホームステイさせてもらった時のことです。その家庭では数か月前に息子さんを自殺で亡くされていた、ということを知りました。そういうことだったら、予定されていたこととは言え、ホームステイを断わってくれてもよかったのに、と思いましたが、彼らはそうしませんでした。お話を聞きながら気付いたことは、この辛い出来事の前にも後にも、彼らは教会の礼拝に通い続けていたということです。聖書を読む生活を続けていた。聖書は、このような思いがけない出来事にも、問題をごまかしたり、逃げたりしないで、この家庭に語りかける言葉を持っていたということでした。
すれ違いざま、ひと言ふた言、言葉をかけて終わり。責任も持たない、という時代に、聖書の言葉は2年どころではありません、生涯にわたって、あなたに責任を持つ言葉であるのです。そのことを、私は35年の牧師としての経験から、そして45年にわたって聖書を読み続けてきた経験から、確信することができます。

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by rev_ushioda | 2011-04-11 09:23 | Comments(0)