「ぱっと光が射す」

後藤栖根(からね)という人が書いた「めだかの学校」という本があります。

「終戦直後、茫然自失していた」と言うように、第二次世界大戦後の日本人は誰も皆、その生きる目的をなくし、疲れ果て、一日一日をただ惰性で生きているような有様でした。そんなある日の出来事でした。道端にバラックの果物屋があって、その店先で主人らしい人が木箱から柿を出して積んでいたのです。後藤さんにとって、何年ぶりかで見た、美しい柿の実でした。思わず、足が止まりました。と、その時、一つの柿の実が、ころがり落ちたのです。そこをちょうどジープが通り過ぎ、転がっていた柿の実を、ピシッとつぶしました。柿の実は、無残につぶされましたが、しかし、そのつぶれた実の中に三つ四つの柿の種がつやつやと光っていたのです。それを見て、後藤さんは言います。「私の心の中に、ぱっと光がさした」。

戦後の廃墟の中にたたずみ、虚無感に押し潰されていた後藤さんでしたが、しかし、そのつぶれた柿の実に、形を変えた、新しい「命のかたち」を見たのです。そして「ぱっと光がさした」ことを感じたのです。
聖書で言っていることは、こういうことなんだと思います。柿の実がジープでひかれるように、私たちの人生にも、幾度か、自分の意志ではなく、外から踏みつぶされるようなことがあります。そして無残につぶれ、もうだめだと思う。でも、ここが大事で、私たちには「種」があるのです。
どういう種かというと、復活のキリストです。キリストは、死によって無残にもつぶれたのですが、しかし死を越えて、ちゃんとつややかに光っている。私たちの問題は依然としてあり続けたとしても、キリストの命が、そこにつややかに光っているのです。私たちは、この方によって、つぶれたままではない。神の可能生の中に芽生える。引っ張り出されるのです。あなたも!

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by rev_ushioda | 2011-03-21 09:33 | Comments(0)