「教会の会議について」

定期中会会議が終わった。

議題が少ない。今日は早く終わると思うのは甘かった。議論が予想されるところは、関係者としては周到な(?)準備をして臨んだが、違うところで議論になり、一寸先は闇とか。結局、問題が出そうなところはすんなりと通過。肩透かしを食ったような…  そして終わったのは、いつもと同じか、それより遅いという時間帯であった。

共同体としてきちんと責任を果たし、責任を引き受けるためには、会議は、避けて通れない。それをいい加減にしたところは、いい加減な共同体となる。…にしても、時間的には、もう少し何とかならないだろうかと思う。

ところで、教会を建てるのは、聖書の言葉であるにちがいありません。しかし、聖書が大事だと言っているだけでは、決して聖書が大事にされることにはならないのです。聖書が正しく語られ、聞かれるための、システムも大事だと考えています。
私たちの教会は、「中会主義」をとっています。各個教会の上にある、「中会」というシステムを、大事に考えています。各個教会は、そこに代議員(牧師と長老)を送ります。その決定を大事にすることで、地域の教会が教会になると、受け止めているのです。つまり、牧師を任職し、教会に派遣するのは、この中会です。その教会を生み出し、組織的に設立するのも、また、中会なのです。
中会の「会議」は議長を選出しますが、任期は1年です。ここが大事だと思うのです。どんなにすぐれた人が居ても、その人が中心にならないシステムなのです。会議がいつも教会の中心にあり、そのシステムを大事にすることで、人が中心にはならない。そういうところで、では、何を大事にするのか。聖書を大事にする、ということが実現するのです。聖書を大事にと言いながら、人が中心になった結果、聖書の読み方がゆがめられ、決して聖書が大事にされないということも、今まで、しばしばあったのです。
長い時間をかけて話し合うというのは、それは、正しく聖書を読むための労苦であると言ってよいでしょう。

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by rev_ushioda | 2011-02-28 21:02 | Comments(0)