「なぜ」

今日は、2月11日である。

ちょっと見逃していたが、1月26日の朝日新聞の記事に、哲学者 佐々木中(あたる)氏が坂口安吾氏の言葉を引用しながら、述べていた。

坂口安吾が「お前は甘いぞと言われることが、我々日本人にとつては骨身にこたえる一大苦痛」と揶揄しています。皆、「現実をわかっていないお前は甘い」と言われたくなくて、現状追認に走っているだけですよ。しかし「現実がこうである以上、こうするしかない」という言説は、結局、人を苦しめ搾取や暴力を生み出すだけです。人間は「なぜ」と問う生物です。・・・この「なぜ」という真摯な問いが今何よりも欠けています。・・・我々も、「なぜ」という声をあげることが、やましいことであるかのように思いこまされています。・・・「なぜ」と問いましょう。問い続けましょう。われわれは人間なのですから。

私たちが平和を語ると、必ず、武器を持たずに、どうしてこの時代、この脅威の中をやっていけるのかという問いが聞こえてくる。甘い!という声は、確かに私たちをびびらせるのだ。そこで大事になってくることは、「なぜ」を問うのが、そもそも人間であるというのだ。人が、当たり前と言って突き進む時、そこでなお、「なぜ」を問い続けていくのが、人間だと。まったく、同感である。
たとえば、憲法9条は、その「なぜ」を問う、「足がかり」なのだと思う。足がかりをなくしたら、それこそ力で勝負する、力の均衡を維持する、という世界観しか残らないのです。歯止めが効かなくなり、いっときは安心だと思えても、「結局、人を苦しめ搾取や暴力を生み出すだけです」。それは、歴史が証明している。力を持った国が、そのままの栄華を維持した例はない。

今日の抑止的平和論に対して、なぜ、を問い続けるために、9条があるのだと思う。そこに、人間らしい営みがあると信じる。

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by rev_ushioda | 2011-02-11 17:05 | Comments(0)