「疲れた者、重荷を負う者」

教会の前に落ち葉がたまっていたので、掃きながら、そういえば他のところには落ち葉はなく、きれいなことに気づきました。どうしてここだけ溜まっているんだろう? ・・わかりました。道路がカーブしているのです。まっすぐに飛ばされてきた落ち葉は、ちょっとのカーブなのに、そこに残されていったのです。吹き溜まりとはよく言ったもので、やがてこの落ち葉はまた風に飛ばされていくのでしょうが、今はほんのひととき、そこで休んでいるようにも見えました。

落ち葉が、タイミングよく教会の前に集まっているのを見て、他の教会でも、こういうことがあると言っていたことを思い出しながら、私は、私たちが教会に集まる姿を重ねて考えました。私たちは、落ち葉のようにこの世の風の中を懸命に生きてきた。走ってきた。いえ、“走らされて”きたと言ったほうがいいのかも知れません。そして、疲れたのです。ふと見ると、そこに足を止める場所があった。それが教会ではなかったか・・・。世の中の風は依然として吹いているのですが、自分には、ちゃんと休む場所があるのです。ここで休み、元気をつけて、必要ならば、また風の中に出て行けばいいのです。そして、もはや風のペースで舞い・踊らされる者ではないのです。今度は自分の意思で、再び立ち上がればいいのです。すると、ただ飛ばされているのではない。たとえ落ち葉であっても、何かに用いられることだってあると気付く。そう気付くことができるために、休む場所、教会があるのです。
キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。私たちは、教会を(この電話メッセージもそうですが)、たまたま自分で見つけたと思っているかもしれないのです。しかし、実は懸命に走り続ける私たちにキリストが呼びかけ、キリストが私たちを招いていてくれた、そういう場所だったのです。だから、安心してこの吹き溜まりに留まっていたい。そしてここから出かけ、1週間たったら、ぜひ、またここに戻っていらっしゃい。お待ちしています。

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Commented by ミリアム at 2010-12-09 12:39 x
「私はもう疲れました、本当に疲れました」と告白して、
落ち葉になって2年。
あたたかい一枚の落ち葉になれただろうか。
人を絶えず裁いていないだろうか。

自問を繰り返す待降節です。
Commented by rev_ushioda at 2010-12-09 17:37
今まで力んで生きてきた残滓は、まだどこかにあって、ふと気づくと、裁いている自分がいたりすることもあるでしょうね。安心して生きる人の、そういう心の動き方、言葉を、共に創造していきたいですね。
by rev_ushioda | 2010-12-11 10:25 | Comments(2)