「親は子の牧師」

私は牧師ですから、病院にお見舞に行くことがよくあります。ある時、小さな男の子が喘息で病院に運ばれ、私もすぐに行ったのですが、処置がきついらしく「痛いよ、痛いよ」と泣いているのです。それを聞いているうちに、どうも感情が伝わってきてしまい、クラクラ・・と。貧血を起こしやすい私は、とっさに外に出て座り込んでしまいました。何ともなさけない牧師なのです。
一方、その子のお母さんですが、別の時、お子さんがまた入院し、今度は熱性けいれん。普段とは違ううつろな眼差しのために、危機感を募らせ、もう、どうしてよいかわからなくなったそうです。けれどもそこで気をとり直して、とにかくベッドの脇でこう言いました。「まーくん(その子はまーくんと呼ばれていました)、かみさまにおいのりしようね」。すると、今までうつろだったまーくんが「かみさま?」と言って、ベッドの上にちょこんと座り、お母さんの顔を、しっかり見つめたのです。
お祈りしよう、という呼び掛けで自分を取り戻してくれたことが、途方に暮れていた母親として、何よりもうれしかったと、このお母さんは話してくれました。
子どもが病気の時、また、苦しむ時、その時にこそ「いつものようにお祈りしよう」と言うことができる親は、また、そう言ってもらえる子どもは、何と幸いかと思わされました。祈りは、このように確かに人を現実に引き戻すのです。親もまた、途方に暮れず、つまらぬ迷信に走らず、冷静に看病し、医師に信頼して、正しく治療を受けることができるのです。
子どもが入院すると、牧師に来てもらい、祈ってもらいたくても、場合によっては親だけしか入れないということもあります。家であっても、夜中とかとっさの場合は、そこでは親がしっかりしなければなりません。その時に「さあ、神様に祈ろうね」と言うことができる親は幸いです。その時、親は子どもの牧師になるのです。親のもっとも光栄あるつとめではないでしょうか。ぜひ、皆さんに祈ることを学んでほしいと思います。

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by rev_ushioda | 2010-10-11 22:22 | Comments(0)