「教会設立(種別変更)祝辞」

めぐみ教会の皆さん、教会設立おめでとうございます。

めぐみ教会の数ある印象の中でも、私にとって記憶に残るのは、最初に借りていた場所で開催した中会会議です。あの狭さで、よく“あれだけ”の人が入ったと思います。いや、よく、あそこで中会会議をしようと思ったものだと。
しかし、それでも、教会だった。反対に、町でよく見かけますが、立派な教会かと思いきや、結婚式場だったというような建物がある。それは、教会ではないのです。
何が教会かと言うと、教理や組織神学の教科書などを見ると、「教会の標識(マーク)」ということが教えられている。カルヴァンの『キリスト教綱要』では、教会の「旗印」と訳されている。それは、御言葉の説教と聖礼典(洗礼と聖餐)の執行です。この二つがあれば、そこには確かに真の教会が存在していると言うのです。そういう意味で、めぐみ教会は、最初から教会だったのです。
なぜ、今、「教会」設立かと言うと、「種別変更」なのです。「伝道所」のときも、間違いなく教会だった。しかし、組織的に自立していなかったのです。「伝道教会」もまた、教会だった。しかし、会計自立していなかったのです。今、会計自立を果たした、それで中会では、種別的にこれを「教会」と言おうということなのです。

会計自立と言えば、二人の方を思い出します。私の前任の教会のことですが、Nキリスト教団の兄弟は、伝道所の最初の年にクリスマス感謝献金を届けてくれました。そして、絶えることなく毎年、献金を届けてくださったのです。今は、泉伝道所の開拓に伴って、泉区まで届けに来てくださいます。他教会のために、30年以上です。頭がさがります。また、中会内の一人の姉妹ですが、前任の教会が会計自立するまで毎月2,500円、必ずピン札で送金してくれました。この方も、10年以上、そうした送金が続いたと思います。
このような感謝献金に、何とも言いようがない感謝をおぼえ、本当に励まされます。私が申し上げたいのは、会計自立したから「教会」への種別変更のお祝いをするのですが、会計自立の後ろにある献げる姿勢ということです。誤解を恐れず言えば、人数が増えれば会計は必然的に自立するでしょう。だからと言って、それで教会になるかと言うと、違うと思うのです。
教会の「旗印」「標識」は御言葉の説教と聖礼典の執行と言われ、そのことを教会は大事にするのは言うまでもありませんが、教会を造るには、もう一つ、献げる姿勢があると思います。それが教会を作る。教会の実態となるのだと。荒瀬牧師のブログに、ようやく「成人式」を迎えました、と書かれていました。成人とは、この場合、献げる姿勢が整った、ということだと思います。献金は、献身です。キリストのために身を献げる、名実ともに信仰共同体となったのです。献げる姿勢を今後とも開拓し続けていっていただきたいと思います。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑ ランキングに参加しています。よろしく。
[PR]
Commented by boxy-diary at 2010-09-30 09:21
拙ブログで先生が祝辞をくださったことを紹介し、そこからここへのリンクを張らせていただきました。26日はどうもありがとうございました。
Commented by rev_ushioda at 2010-09-30 19:50
教会設立の持つ力からすれば、つたない祝辞でした。
礼拝と祝会に出させていただいて、あとに続く者として、身が引き締まる思いがいたしました。
by rev_ushioda | 2010-09-26 10:30 | Comments(2)