「自分本位の挨拶言葉」

 ほらせい春のたび立ち!
 まっかな太陽
 のぼる太陽
 でっかい太陽
 ほらせい春のたび立ち!
 でっかいあお空
 高いあお空
 まっさおな空
 ほらせい春のたび立ち!
 かなしい気がする
 うれしい気がする
 不安な気がする
 ほらせい春のたび立ち!
            (「ぼくは12歳」より)

「ほらせい春のたび立ち! 」と言いながら、 「かなしい気がする 」と続く。旅立ちに伴う不安は分かるが、悲しい気がするというのは、どういうことだろう。これはもう、本人にきくしかない。しかし、私たちは、自分の分かる範囲できこうとしているのではないか。わかる範囲には、「悲しみ」はないのである。だから、一瞬驚くか、えっと思うが、そのまま無視して通り過ぎようとする。
そういえば、私に孫が生まれたとき、皆さんは「うれしいでしょう?」と言われるのに、私の心のどこかを「寂しさ」「悲しさ」が通り過ぎていった。思いがけない感情であった。自分なりに思い返してみると、それは世代交代、つまり私の世代の終わりを見た瞬間であった。何とも悲しい、寂しい気持ちであった。

私たちは相手の気持ちを大事にするというより、聞き手の立場で他人を見ているのである。最近、新聞の取材を受けた。原稿を事前にチェックさせてもらったが、文章の中に「燃え尽き」という言葉があった。「途方に暮れた」とは言ったが、「燃え尽きた」とは言わなかった。なるほど、記者はそういう流行の言葉でまとめたいのかなあと思った。これもまた、聞き手本意である。

「お元気ですか」「ご健勝のことと存じます」「頑張ってね」「いいお天気ですね」もみな、聞き手の立場でものを言っている。元気と言われれば、その枠で答えなければならない。十分頑張っている人に頑張ってと言ったところで、どう頑張ったらいいのか。気持ちが沈んでいる人に、「いいお天気」はない。気持ちは、曇っているか、嵐か、なのである。

このように私たちの挨拶の言葉は、聞き手の立場でしか、ものを言っていない。
相手の立場に立ったら、どういう言葉になるのだろうか。青春の旅立ちに、「悲しみ」があるのである。それを聴かなければならない。

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by rev_ushioda | 2010-09-22 20:00 | Comments(0)