「問いかけられて」

私たちは、何を質問されるか(何をきかれるか)によって、人生の見方、作り方が違ってくるように思います。
お母さまたちでしたら「今日の夕食、何にする?」。中学生・高校生のメールでしたら「今、どこ?」。こういう質問、問いかけによって、自分は人生というものを知ったという話は、聞いたことがありません。
「今、何か気になっている?」このくらいになりますと、何かが気になっている自分、こだわっている自分と向き合い始めるわけです。どういう問いかけを受けるかによって、私たちの質が違ってくるのかも知れません。

ハイデルベルク信仰問答という本があるのですが、その冒頭に「生きるにも死ぬにもあなたの唯一の慰めは何ですか」と聞いてくるのです。どうでしょうか、私たちは、生きるにも死ぬにも、そこで慰めを受ける、そこで希望をもって生きられるものは何か、なんてことは考えたこともないと思います。しかし、聞いてくるから、考えたことのない自分自身を考えるのです。こうして私たちは、問いかけによって自分を見つめ、新たな自分と出会う経験をすることになります。ですから、私たちは、どういう問いかけを受けているか。どういう問いかけを自分自身にしているか。大事なことです。

イエス・キリストは「何をしてほしいのか」と、問いかけられました。してほしいことは山のようにあります。しかし、全部してほしいのだろうか。「何をしてほしいのか」と問いかけられて、では自分は何をするのか、と考えることになります。「何をしてほしいのか」。心を病んでいる方は、治りたいと言うでしょう。しかし治ったら、もう、人から援助を受けることができない、人の時間をもらうことはできない、ということです。「何をしてほしいのか」と問いかけられて、自分は本当に自立する意志があるのだろうか、と考えることになります。

キリストの問いかけによって、私たちは初めて、自分と向き合うことができるようになるのです。
泉教会は、相鉄いずみ中央駅、または市営地下鉄立場駅で下車、どちらからも歩13分。初めての方は、日曜日朝10時30分からの礼拝に、ぜひおいでください。

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by rev_ushioda | 2010-09-18 19:46 | Comments(0)