「後ろからの呼びかけ」

今度の日曜日は、イースターです。早朝(と言っても7時ですが)、野外礼拝を計画しています。イエス・キリスト復活のお祝いのための、特別な試みです。

ところで、私たちは、今まで幾度くらい、お墓の前に立ったことでしょうか。突然お墓のことで恐縮ですが、私たちは年に何回かはお墓参りに行きますし、また、亡くなる方があると、その時もまた、お墓に行きます。好むと好まざるとによらず、私たちは、いつも誰かのお墓に向き合っているのです。
聖書の中に、ここでも一人の女性が、お墓の前で泣いていたと書かれています。そこは、3日前に葬られたイエス・キリストのお墓でした。しばらく泣いていると、後ろから声があった。そして彼女の名前が呼ばれたのです。彼女はお墓、死の方向に向かっているわけですから、後ろというのは、生の方向ということになりますが、そこに立っていたのは、何と、葬られたはずのキリストでした。キリスト教は、この、死を通って生に突き抜けた方があるということを大きな希望の光とした宗教です。春になると世界中で祝われる「イースター(復活祭)」は、まさにそのお祝いなのです。
さて、今日のお話で大事なのは、後ろからの呼び掛けということです。生からの呼び掛け。ここが大事です。私たちは何かあると途端に失意、落胆に落ちこむしかない者です。その極みがここで言う「お墓」でしょう。ところが、まさにその失望の極みにあって、キリストは後からの声を掛けるのです。
星野富弘さんという方がいます。絵をお描きになる。そして、絵のそばに必ず詩を添えるのです。桜の絵が描かれていて、こういう詩が添えられていました。
「花がきれいですねえ/誰かがそういって/うしろを過ぎて行った/気がつくと目の前に/花が咲いていた/私は何を見ていたのだろう/この華やかな/春の前で/いったい何を/考えていたのだろう」
キリストこそ、とんでもない方向を見ていた私たちの後ろから呼び掛けて、私たちに「私は何を見ていたのだろう」「いったい何を考えていたのだろう」と、気付かせるのです。このキリストのことを聖書から一緒に読んでみませんか。ぜひ、ご連絡ください。

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by rev_ushioda | 2010-04-02 17:21 | Comments(0)