「いったい何を考えているか」

星野富弘という人の詩に、次のようなものがあります。その詩は、桜の花の絵と一緒に書かれています。

「花がきれいですねえ/誰かがそういって/うしろを過ぎて行った/気がつくと目の前に/花が咲いていた/私は何を見ていたのだろう/この華やかな/春の前で/いったい何を/考えていたのだろう」
何か、ボーっとしていたのです。そういうことは、私にもあります。ボーっとしているとき、誰かの声がかかる。ハッとして我に返るのです。
しかし、私たちは、けっこう一生懸命やっているのであって、ボーっとなんかしていない、と言われる方も多いかも知れません。そうなのでしょうね… でも、ボーっとしているのとは正反対の「一生懸命」というのも、やはり、見なければならないものが、見えなくなるのです。

朝日新聞に、三井物産の元社員が牧師の道へ、という内容の記事が載っていました。商社マンとして、バリバリ仕事をしていた。勝った負けた、だましだまされ、の世界で生きてきた。ある日、お連れ合いと一緒に、たまたま教会の集まりに出た。参加して驚いた、と言うのです。参加者の会話はすべて、自分の事ではなく、ほかの誰かの幸せを思い遣る内容だった。「あの人、どうしてる?」「この不況で大変なんですよ」「じゃ、手紙書こう」「祈ろう」。こんな体験は初めてだった、と言うのです。この人は、ボーっとどころか、一生懸命やってきたために、だからこそ見るべき人間、人間の優しさが見えなくなっていたことに、気付いたのです。
聖書の言葉は、とんでもない方向を見ていた私たちの後ろからそっと呼び掛ける言葉です。「あなたはキリストに愛された人間だ。あなたは愛されている」。そこで「私は何を見ていたのだろう」「この華やかな/春の前で/いったい何を考えていたのだろう」と気付くことができれば、幸いです。

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by rev_ushioda | 2010-03-05 23:39 | Comments(0)