「傍らに座り込む方」

ある時、国道246号という大きな道路の上にかかる陸橋の上から、ふと下を見下ろすと信号機のところにいる親子の姿が目に留まりました。二人とも道路に座り込んでいるので目についたのですが、お父さんと一緒にいる子はダウン症のようです。お父さんは子どもと一緒に道路に座り込んで、国道をひっきりなしに走る車を指差しては子どもに向って楽しそうに話し掛けていました。
妻の話だと、このお父さんは休みの日になると、いつも、このようにしているらしいということでした。子どもの歩みに合わせて、こうして地べたに座り込んでしまう。周りはひっきりなしに車が行き交い、忙しいのですが、そこだけは時間が止まっているように見えました。あの子は楽しそうにお父さんと会話しながら、きっとかけがえのない体験をしているに違いないと、私は思いました。つまり、自分はこのまま自分のペースで生きていっていいのだと。
クリスマスが近づいていますのでそのお誘いをしたら、自分は家族を亡くし、悲しくてずっと誰にも言えなかった。こんな気持ちで、お祝いの席に出ていいのでしょうか、と言われた方がいました。もちろんです! そのように、生活も気持ちもその一点から動かないでそこに立ちすくむしかないなら、まさにその場所にキリストが座り込んでくださるのです。神の子キリストは、家畜小屋の飼い葉桶に生まれました。周りは、人口調査のためにごった返していて、はるばる旅をしてきたヨセフとマリアは部屋も確保できなかった。ようやく寝床を得たのは、家畜小屋だったのですが、その夜、神の子キリストが生まれました。家畜小屋とは、世の中の動きとは別に、そこだけ時間が止まっているような場所です。そこにキリストが生まれたということは、そういうところにしかいられないような人と共に、私はいるのだという、神さまの証しであったと思います。これが、クリスマスなのです。クリスマスこそ、忙しい世の中の動きに振り回され、翻弄されることなく、この自分でいいのだと確認することができる時なのです。

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by rev_ushioda | 2009-12-23 23:11 | Comments(0)