「天使のパン」

「降誕節に相応しいと思います」と言って、「天使のパン」を紹介してくださった方がおられる。そういえば、どういう意味だったのか、調べてみたが、どうも納得いかない。といって、原語では歯が立たない。下に、英語からの私訳を試みたが、怪しいかも、である。
ベルギー生まれのフランスの作曲家セザール・フランクの作曲、作詞は、かのトマス・アクィナス(中世の哲学者・神学者)であるとか。

Panis angélicus
Fit panis hóminum,
Dat panis coélicus
Figúris términum.
O res mirábilis:
Mandúcat Dóminum
Pauper, servus
et húmilis.

(英訳)
 Bread of Angels,
 made the bread of men;
 The Bread of heaven
 puts an end to all symbols:
 A thing wonderful!
 The Lord becomes our food:
 poor, a servant, and humble.

原語の歌は → 

(富田裕訳詞)
 天使のパンは
 人間のパンとなり
 天上のパンは
 見えるものとなる。
 おお何と驚くべきことだろう、
 神のからだを食べるのが
 貧しく、哀れな
 卑しいしもべであることが。


(松田紳訳)
 天使の糧(パン)は
 人々の糧となりました。
 天からの糧は
 形あるものに変わりました。
 なんと素晴らしい事でしょう。
 (天は)憐れな者たちや奴隷たちそして卑しき者たちに
 主を(糧として)与えられたのです。

(鎌田紳爾訳)
 天使の糧は
 人々の糧になり、
 天の糧は
 形あるものを終わらせられる。
 おお、なんという驚き、
 主よ
 食するのは 貧しき、貧しき虐げられし僕(しもべ)。

(カトリック聖歌集)
 天使のパンは
 人のパンとなった天のパンであって
 旧約の前表を全うした。
 ああ、感嘆すべきことよ、
 貧しいもの、しもべ、および卑しい者が主を食しまつるとは

英訳の symbols とは、旧約時代のイエス・キリストを指し示す「予表」だと分かった。つまり献げられたイサク、出エジプトの旅で食べたマナ、その他、過ぎ越しの食事、神殿、祭司、祭司が行う犠牲、等々の意味である。それらは、みな、イエス・キリストの「予表」であるという理解(カトリックでは「前表」と言うのか…)。そのことをふまえて、次のように意訳してみた。

(英訳からの私訳)
 天使のパンは
   人のパンとなった
 その天のパンこそ
   ついに人が待ち望んでいたもの
 何とすばらしいことか
 主は、私たちの糧となられる
   貧しい者、虐げられた者、身分の低い者の糧と!


(servant は、やはり、素直に「しもべ」がよかったかな)
「天使のパン」はそれ以外に訳しようがないので、そうしたが、カトリックの理解なのだろうか。よく分からない。そういえば、 カトリックの典礼で使われる(らしい) 「ラウダ・シオン」 Lauda Sion Salvatorem の【21】 に 次のようにある。

ECCE  PANIS  ANGELORUM,
Factus  cibus  viatorum:
Vere  panis  filiorum,
Non  mittendus  canibus.

見よ、旅人である人間の糧となった天使のパンを。
これこそ子らのまことの糧、
犬へ投げやってはならない。

ここにも「天使のパン」が出てくる。どうもカトリックでは「天使のパン」は、一般的なようだ。そして、「Panis angélicus」と共に、カトリックの聖体拝領のときに歌われる。そういう理解から来ているとしたら、聖書的には理解するのが難しい…

まあ、ここは「詩的」な表現としてとどめておこう。

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by rev_ushioda | 2009-11-26 21:54 | Comments(0)