「M兄葬儀説教 序」

M兄は、5人兄弟の長男として東京都足立区に生まれました。小中学校時代は鶴見区で過ごし、高校は、鶴見工業高校で建築を学ばれました。
卒業後、川崎にあった日本油脂株式会社に入社、会社が戸塚に移転したのに伴い、そこで、お住まいも現在の場所に移ってこられました。
お父さまが大工であった、ということからでしょうか、とても器用な方で、大工道具一式があって、家の補修など自分でやっていたということです。弟さんにお聞きしましたら、とても面倒見がよかったそうで、そういう性格もあるでしょうか、会社は、40年間立派に勤務し、定年により、退職されました。

会社務めのころ、肺炎になり、かなり危ない状況になったときいておりますが、そこは何とか回復したのですが、定年後2年ほどしてから今度は糖尿病で、治療する日々を続けることになりました。
昨年2月になって、今度は大腸がんがあることが分かり、3月に手術。しかしその時点で、すでに手遅れの状態で、数ヶ月、もつかどうかという診断でしたが、それから1年半以上、転移がありながらも生きることができたのです。
入退院を繰り返しましたが、最後の入院が9月、そして、今週月曜日(11月9日)朝5時過ぎ、ついに神のみもとに召されました。初めから、痛みは何もないままでした。M兄の体は病気には犯されましたが、しかし神が、その病の体からM兄をご自身のもとに引き上げてくださったと思うしかない、最期のときでした。M兄に神が与えてくださった人生の日数は、72年でありました。

M兄は、鶴見に住んでいた頃、川崎の教会でキリスト教の洗礼を受けました。お母様と一緒の洗礼式でした。
やがて、転居と共に教会を変え、そうこうするうち、病とともに教会から離れそうになったときも、なかったわけではありません。しかし、キリストを信じる信仰は、体の中に動き続け、がんという病がついに勝利しようとした最後のとき、俄然、信仰の思いが動き始めました。今年の9月、私たちたちの教会においでになり、数回の礼拝でありましたが、しっかり人生の締めくくりをされ、ついに最後の入院となりました。しかし、病室ではCDで賛美歌を聞き、聖書の朗読を聴き、T子さんには「もっと大きな音に。皆が聴けるから(聴きたがっているから)」と言っていました。この葬儀でも、皆さんと一緒に賛美歌を歌いますが、M兄がベッドで聴いていたCDの曲の中から、好きな賛美歌として選んでもらったものです。
死の近いことは、本人が一番、知っていたと思います。T子さんも、そこは信仰の人でありまして、「お父さん、(死んだら)どこに行くんだっけ?」すると、M兄はすかさず「アメリカ、、、うそだよ、天国」という遣り取りをしておりました。痛みはありませんでしたから、完全に人生を完成してくださる神に任せきった入院の日々として私の目には映りました。
その平安がありましたので、私もお見舞いのたびごとに、聖書の言葉を読むのですが、天国の約束の箇所を必ず開いて、祈るのです。亡くなる前日、M兄のために私が最後に開いた聖書の言葉は、次の言葉です。ご一緒にお聴きください。
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
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by rev_ushioda | 2009-11-09 21:35 | Comments(0)