「しみのあるまま」

私が大事にしている一冊の辞書に、かなり目立ったインクの「しみ」があります。昔、牧師になるために勉強していた時、辞書をひきながら、疲れて机で眠ってしまった時があります。その時、手に持っていたのが万年筆で、そのペン先が、たまたま本に当っていたのです。かなりの量のインクが辞書に吸収され、「しみ」になったのです。
いわゆる、汚点です。しかし、私はこの「しみ」が好きです。勉強は大変だったですが、でもあの時は一生懸命だった自分の人生の一こまを、確かに映し出していると思えるからです。「しみ」の後ろに、懸命に生きている自分がいると思うと、「しみ」「汚点」だって、いとおしくなるから不思議です。
皆さんは、「ルビンの杯」という絵をご存知でしょうか。向き合っている二つの顔を想像してください。しかしその顔は真っ黒。つまりシルエットとして描かれています。ある人はこの絵を見て、そのように二人の人の顔だと言います。しかし、別の人がこれを見ると、顔と顔の真ん中、白い部分に壷、もしくは杯が見えると言います。黒を中心に見ると、顔。白を中心に見ると、壷や杯に見えるのです。同じものを見ても、そのように違って見える、というものです。
私たちは、自分をどのように見ているでしょうか。黒(しみや汚点)を中心に見ていると、自分はダメな人間だと思います。しかし、黒の部分の隙間に、別に見えるものがある。すると、同じ自分なのに、絵はがらっと変わって、その同じ自分の中に希望があるのです。そしてその希望を見せてくれるのは、ほかならない、その黒い部分なのです。
私は辞書のインクの「しみ」を見て、頑張ってきた自分、いとおしい自分を発見しました。「しみ」は、大事なのです。自分の失敗や、欠点は、それもまた自分なのであり、そしてもう一つの自分に気付かせてくれる。そこから始めることができるのです。キリストは、しみのない私たちを愛してくれるのではありません。しみのあるまま、愛してくれる神の子なのです。
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Commented by ミリアム at 2009-10-28 12:13 x
しみだらけ(!)の私を、主イエスはそのまま受け入れてくださった。
だから、私も、しみのある人をも、ない人をも、愛せるようになりたい。
by rev_ushioda | 2009-10-27 22:00 | Comments(1)