「死を覚えよ」

夏の道を歩いていると、しばしば、セミが死んでいるのに出会いました。ほんのわずかの命を生き、死んでいく。その死骸を見て、私たちは何も思わずに見過ごすことはできません。
かつて「大地は死骸で満ちている」という一文を読んだことがあります。植物の枯死したものから始まって、虫の死骸、動物の死骸、私たちはそういう死骸の上に乗って生きているのだというそのエッセイに、なるほどと納得するものがありました。私たちの生は、死の上に成り立っている。この指摘は、実際その通りであり、私たちの生き方を大いに考えさせる事実だと思うのですが、いかがでしょうか。
聖書の「箴言」という個所(教訓、戒めというような意味ですが)そこに、次のような祈りの言葉があります。「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません。…生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」
生涯の日を正しく数える。これは、夏の道で足元に死んでいるセミを見て知恵を得よ、と言うのに等しいと思います。こうして、このことを心に留めた人々、昔の修道院では、「メメント・モリ」(死を覚えよ)というのが挨拶の言葉になったと聞きます。私たちは、死ぬべき自分を忘れるのです。誰も必ず死んでいくのにもかかわらず、何の備えもしないのです。それでは、生涯の日を正しく数えることができない。だから「メメント・モリ」(死を覚えよ)。
聖書はしかし、死を越えた、死とは正反対の「復活」を描き出しています。復活の意味がわからないなら「神にある命」と言い替えてもいいのです。神の命の上に、私たちの人生を乗せるのです。死の上に乗せるのではありません。このまったく別の生涯の日の数え方があるということを、セミの死骸を見たらぜひ思い出し、心に留めていただきたいのです。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ
↑ よろしく
[PR]
by rev_ushioda | 2009-09-02 09:25 | Comments(0)