「終戦記念日に思う」

アメリカがイラクを攻撃していた時、新聞の夕刊トップに大きな見出しで「祈り 悩む空母兵士」とありました。空母に乗った新聞記者が書いた記事は、戦場でも平和を祈る人々がいるという内容でした。空母には、カトリックの人、プロテスタントの人、イスラムの人、それぞれが、祈る場所や時間がある。ある人が、神父のところに来て、泣きながら訴えました。「キリスト教は平和を説いている。でも自分たちは爆弾を落としている」。祈るゆえに、時代の流れの中で苦しみ、悩んでいるのです。神を知るゆえに、戦争の中でもなお、人間らしい感じ方をしているのです。
野田正彰さんという精神科医が、こういうことを書いています。「第二次世界大戦で米兵は10人に1人が精神障害に陥った。ドイツ軍でもユダヤ人殺戮の命令に耐えられない兵士が10%出た。それが、日本の旧陸軍病院の日記で、虐殺の罪におびえていると記した事例は2000人のうち、わずか2人だった。日本人は、おびえることも、傷つくことも、悲しむこともできない人間なのだろうか」(1998年8月15日 朝日新聞「ひと」)
何が、こうした違いをもたらすのでしょうか。祈る人たちが、悩んでいる。ここが大事なのでしょうね。人を生かし、愛してくださる聖書の神さまを知る人は、神さまを知るゆえに、祈り、戦争の中でもなお、人間らしい感じ方ができるのです。おびえることができる。傷つくことができる。悲しむことができる。これが、戦争などの悲惨を目にした時に感じる、人間らしい感じ方なのです。だから、殺すことができない。
私たちは、正しく神さまを知りたいのです。祈りの生活を、していきたいのです。聖書を読むと、「イエスは涙を流された」とあります。聖書を読みながら、私たちも人間らしく感じ方を育てていきたいと思います。人間らしく感じ、人間らしく自分の行動を選び取っていく者でありたいと思います。

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by rev_ushioda | 2009-08-15 09:17 | Comments(0)