「ここに立つイエス・キリスト」

「キリスト教」は、何を一番大事なこととしているかというと、私たちが神さまのところに行かなければ神さまに会えないというのではなく、その反対に神さまが私たちのところに来てくださった。だから平安であり、平安だから、心を高く上げて生きることができる、ということを言っているわけです。
私はある時、富士山の裾野にあるキャンプ場に行きましたが、用事があったものですから一足先に帰ることにしました。ところが、エンジンの調子が悪く、何と牧場の真中で車が止まってしまったのです。見ると、そばに結構長い坂道があったので、いつも通る道ではありませんでしたが、そちらに向かって車を押して、坂道をスーッと走らせて、エンジンがかかるか、やってみました。しかし、結局だめでした。富士山の裾野の牧場の中です。しかも道をはずれています。周りは牛しかいません。まったく途方に暮れてしまいました。ところが、しばらくすると、1台の車が脇に止まったのです。見ると、あとからキャンプに参加することになっているA牧師です。「こんなとこで、何やってるの?」「先生こそどうしてここに?」 どうも、道を間違えてその脇道に入ってきたらしいのです。私は仲間と出会い、落ち着きを取戻すことができ、もう一度エンジンをかけてみると、(あれっ…)どういうわけか、普通に動くではありませんか!? こうして、無事、危機を脱することができたのです。
聖書には、神さまが私たちのところに来てくださったのだと書かれています。それが、キリストです。道を間違えて、ではありません! 私たち目掛けて、来てくださったのです。道をはずれ、身動きできず、人間の機能にも支障を来した私たちは、この方によって道を見つけ出し、人間らしい生活に立ち上がることできるのです。
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by rev_ushioda | 2009-08-09 17:31 | Comments(0)